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Re: >No.4904

 投稿者:naga  投稿日:2018年11月18日(日)17時53分27秒
返信・引用
  管理人様へ
>
> 申し上げるまでもないことですが、「秋月」型は計画と異なり結局九四式高射装置を前部の1基のみ
> しか装備しません(できません)でしたので、これを使っての分火ということでは、それはできない
> という意味ですね。

なるほどです、理解致しました
現在は削除されているのですが、以前Wikiの秋月の項にB17の2機同時撃墜を否定するモノとして
秋月型砲術長の証言として「如何な場合でも分火をしたことが無い」と言った旨の記述を
見かけたものですので、この田村氏の完全否定も「如何なる場合も」を示し
含まれているものだと勘違いしておりました、

ご指摘の程ありがとうございます
またYamauchi様にはお詫び申し上げます。
 
 

Re: >No.4904

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月18日(日)16時28分36秒
返信・引用 編集済
  > No.4913[元記事へ]

naga さん

>田村俊雄氏が調査の上、完全に否定する結論

申し上げるまでもないことですが、「秋月」型は計画と異なり結局九四式高射装置を前部の1基のみ
しか装備しません(できません)でしたので、これを使っての分火ということでは、それはできない
という意味ですね。

しかしながら連装砲塔4基の装備ですから、当然ながら各砲塔毎による同時4目標に対する射撃は
“やろうと思えば”可能です。 もちろんその場合高射装置で管制出来るのは1つで、残りは砲側
照準・砲側射撃になりますが。


>秋月型においては恒常的に分火射撃していたのでは

“分火”というのをどの様にご理解され、“恒常的に”というのをどの様な意味で言われているのか
は分かりませんが・・・・

軍艦の乗員は持てる装備を全幅活用する方法を常に考えているのは当然のことですから、射撃指揮官
(砲術長)指揮により指揮装置と砲の全てを使用しての統一指揮による1目標に対応する方法から、
上記の様な各砲塔毎による個別目標対処まであらゆる方法を考え、これを各艦の艦長により個艦の
「砲戦則」として定め、更にその細部は砲術長により決められることになります。

そしてこれにより、必要に応じて柔軟にいつでもどの方法でも射撃可能なように訓練をしますし、
実際の戦闘に際しては、その時その時の状況に応じた適切な方法が採られます。 特に戦闘被害や
故障などの場合には迅速に切り替えて行くことが重要になります。

したがって、「秋月」型でも砲術長指揮による統一指揮を基本としつつ、前・後部に分けた分火も
必要に応じて実施することは当然のことです。 もちろんどちらかの群は砲側照準・砲側射撃になり
ますが。

ですから、後部の高射装置が装備されなかったことから、ご指摘の戦闘詳報にも出てくるように、
後部の分火指揮官には専門教育を受けていない通信士などではなく、少なくとも普通科学生を出た
ような将校を正規に配員する必要がある、という意見となるのです。


 

Re: >No.4904

 投稿者:naga  投稿日:2018年11月18日(日)13時30分11秒
返信・引用
  > No.4911[元記事へ]

Yamauchi様初めまして

私も秋月型の対空射撃に興味があり色々調べていました

 対空射撃で、分火指揮するものだろうか???と思っておりましたら、研究家の
> 田村俊雄氏が調査の上、完全に否定する結論を出しておられたようです。

とありますが
アジ歴に置いてあります
昭和19年6月20日~昭和19年7月10日 第61駆逐隊戦闘詳報(1)
Ref.C08030150500

の戦訓のなかに

(四)人事関係
(イ)主砲分火指揮官ノ配員ヲ要ス
   今回初月ニ於テハ通信士ヲ分火指揮官トシテ分火ヲ実施セシモ
   将来ハ定員トシテ分火指揮官ノ配員ヲ要ス

とあるのですよね
個人的には秋月型においては恒常的に分火射撃していたのでは?と思っております
ただ目標指示などはどのように行っていたのか、資料を探すことが未だ出来ておりません
どなたかご存知の方いらっしゃれば教えていただきたいのですが…

不躾に横からの割り込み申し訳ありませんでした
   
 

Re: >No.4904

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月18日(日)11時44分45秒
返信・引用
  Yamauchi さん

>「艦艇工学入門,岡田幸和,1997,pp285」に掲載

あれの元は海上自衛隊がその初期に作成した資料の中にあるものもので、更にそれは二復に残された
資料を調査して纏めたものです。

そして当該書の第5部全体は、最後にある参考文献に(何故か)列挙されていない、戦後になって
日米で纏められた資料を要約し、作図し直したものですね。

>単に水圧で水が入らなかっただけ

それは“ハッチについては”ということですね。 先にも書きましたように、弾薬庫と庫外に通じる
ところ(=水が入る可能性がある)ところは他に幾つもありますから。

>海軍(特に士官の方)の戦後書かれた本については少し色眼鏡で
>事実とは異なる意図があるとしたら

それは少し違うと思いますよ。 別に技術的な解説書ではありませんので、詳細な構造や操作などを
事細かく正確に書く必要があるものではありません。

それに記憶を辿って書く戦記である以上は、ある意味では致し方ないところがあるかと。

ましてや元技術士官や技術部門に関係した人達のものの方がもっと酷いものがありますし、意図的な
ものさえあります。

それを言い出したら、戦後あまた出版された“研究家”と自称する船に乗ったことのない人達のもの
には、明らかに“意図的なもの”“単に自己の感覚で書いたもの”はいくらでもありますから。


 

>No.4904

 投稿者:Yamauchi  投稿日:2018年11月18日(日)10時09分43秒
返信・引用
  管理人様 ご返信を頂きまして誠にありがとうございます。

仰る通り涼月はおもて側に大きく傾斜しておりましたので、その時点では
第3兵員室は大きな浸水を受けていたものと思います。
https://uploader.xzy.pw/upload/20181118094605_4275c14f_4d426d4a76.png

上図は「艦艇工学入門,岡田幸和,1997,pp285」に掲載されているものです。
同著によると「第3兵員室下の1番弾薬庫に配員されていた3名の兵員が、
第3兵員室浸水開始と同時に弾庫昇降ハッチを弾庫内より閉鎖し、ハッチの
補強を実施して弾庫浸水を防いだことにより、弾庫が浮力を保持したためで、
もちろん庫内の3名は脱出不能となって戦死した」とあります。

最初にこの事実を知ったのは「壮烈!水雷戦隊―夜戦の王者,吉田俊雄,1977」です。
子供の頃は感動の話として受け取っていたのですが、知識が増えるに従い
どうも物理的・技術的に納得がいかなくなってきています。

似たような例として、同型の秋月が1942年9月28日にショートランド
泊地方面で1,2番砲塔と3,4番砲塔を分火指揮しB-17を2機同時撃墜したと
当時の艦長である古賀彌周次氏が記述しているのを読んで、対空射撃で
分火指揮するものだろうか???と思っておりましたら、研究家の
田村俊雄氏が調査の上、完全に否定する結論を出しておられたようです。

色々な本を読んで、海軍(特に士官の方)の戦後書かれた本については
少し色眼鏡で見るようになってしまっています。特に涼月の弾庫内から
ハッチ閉鎖し補強を実施、という件については前回ご指摘の通り単に
水圧で水が入らなかっただけでは?という印象を持っています。

事実がどうであれ弾薬庫で壮烈なる戦死を遂げられた方々の名誉は
一切傷つくことではないと思うのですが、戦後に本を出した方に
ついてはもし事実とは異なる意図があるとしたらちょっとひどいなと
思っています。

 

Re: 長門型の砲の仰角について

 投稿者:naga  投稿日:2018年11月18日(日)00時43分35秒
返信・引用
  > No.4908[元記事へ]

桜と錨さんへのお返事です。

夜分遅くに態々のご返事ありがとうございます

やはり資料等が現存していないと、当事者でもない限り理由を知ることは難しいのですね

また一般論での解説もありがとうございます
大変わかりやすく参考になりました

砲に関してはわからん事多いもので今後もこちらを利用させていただきたいと思っていますので
今後ともよろしくお願い申し上げます。
 

Re: >No.4904

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月17日(土)23時50分45秒
返信・引用
  Yamauchi さん

>第1弾薬庫内の兵士が内側から防水した

第3兵員室は水線の上になりますので、被害で船体が傾かないと下の弾薬庫が防水を要するほどの
大浸水にはなりませんが・・・・ということはさておきまして

水線下にある区画で、戦闘配置などで人がいることを前提とするところ、ましてや弾薬庫などは
簡単には浸水しない構造、設備となっています。

したがって、ハッチ(これも通常の通路としてのハッチではなく)も正常に閉鎖してあれば浸水
などしませんし、先に書きましたように中から防水作業ができるような構造でもありません。

また人が配置される区画には通常のハッチの他、必ず別の非常脱出口などが装備されていますが、
これはその時以外は常時閉鎖されており、簡単に浸水するようなものではありません。

もし弾薬庫内で防水作業をしたとするならば、それはハッチではなく、揚弾薬機や通風筒(口)
など庫外に通じる全てのものを完全に閉鎖してしまったと言うことではないでしょうか?

 

Re: 長門型の砲の仰角について

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月17日(土)23時12分37秒
返信・引用 編集済
  naga さん

>仰角が43度なのはなぜ

なぜ43度という具体的な角度が決定されたかについては、それを示す旧海軍の史料が残されて
おりませんので判りません。 また41糎砲及び36糎砲の詳細な公式射表もありません。

このことを前提として“一般的”なこととしてお話しします。

単純な物理学的放物線では確かに45度が最大射程になりますが、実際の砲及び砲弾の場合はこれ
とは多少異なったものとなるものが多々あります。 もちろん異なると言っても僅かなものですが。

また最大射程付近になりますと、仰角が大きくなる割には射程はほとんど伸びません。

例えば米海軍の45口径16インチ砲では最大射程の45度15.9分で39600ヤードですが、
42度49.3分では39300ヤードで、僅か300ヤードの差です。

それに長射程となった時は地球表面の湾曲も無視できませんから、このため平面なら最大射程でも、
湾曲があると大落角で落ちるよりは落角が小さいほどその分延びることもあるわけです。

そしてこれが重要なことですが、最大射程、つまり高仰角になると弾道性能が極めて悪くなります。

発砲は45度でも弾着時の落角は55度以上になり、弾速も砲弾の回転も落ち、砲弾の姿勢も悪く
なりますし、これらによって風力などの僅かな変化が大きな影響を与えることになります。

したがってこれらを総合すると、艦砲射撃の実用性からは無理に砲仰角を最大射程が取れるように
する必要性はほとんど無いと言えます。

このためどこの海軍でも最大射程で実際の砲戦を行うことは考えておりませんし、現実の海戦に
おいてもこれを期待することは不可能です。

実際に旧海軍では、戦艦の41糎砲及び36糎砲の場合、余程の好条件であっても、砲戦距離は
昼間での飛行機観測・測的利用の場合で最大射程より1000m短い距離以内、普通の艦上観測・
測的の場合では32000m以内と規定されていたのです。


これを要するに、別に最大仰角45度でなくても実際問題として43度なら何ら不都合・不具合は
無かったということですね。


 

>No.4904

 投稿者:Yamauchi  投稿日:2018年11月17日(土)21時13分54秒
返信・引用
  管理者様。ご回答いただきましてありがとうございます。

大和と海上特攻に出た防空駆逐艦「涼月」が第1弾薬庫上部の第3兵員室に浸水し、第1弾薬庫内の兵士が内側から防水したおかげで沈没を免れたと色々な所に書かれているのですが、本当かな?と思っていました。当時乗り組んでいた士官もそのような事を戦後出した本に書いておられたので。

不可抗力で閉じ込められたのか、脱出を確認しないで士官が上から閉鎖を命じたのかはわかりませんが、物理的にあり得ないはずなのに、なぜこんな話が流布しているのかと不思議に感じていました。

そのように記述された理由はわかりませんが、やはり真実ではないとはっきりしたのでスッキリとしました。

ありがとうございます。
 

Re: 始めまして

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月17日(土)20時53分17秒
返信・引用
  > No.4904[元記事へ]

Yamauchiさん

>下側の区画から、上の区画に通ずるハッチを防水できるものでしょうか?

ハッチは上側から閉鎖する構造ですので、上の区画が浸水した場合は下の区画に
通じるハッチには水圧が上からかかりますので、下の区画へは浸水しません。

また上の区画が浸水した時に下の区画を防水する必要が出るような船体区画構造は
基本的に採りません。

また、被害によりダメージを受けた場合、下の区画を防水すると船体の安定性が
極めて悪くなります。

したがって、その様な防水作業も想定しておりません。

 

長門型の砲の仰角について

 投稿者:naga  投稿日:2018年11月17日(土)18時16分8秒
返信・引用
  ご対応いただき誠にありがとうございます
先ずはお礼までに
さて主題の件ですが
長門型および金剛型の主砲最大射程時の仰角が43度なのはなぜでしょうか?

物理では45度で投射した場合が最も遠くに飛ばせると習いましたし実際そうなのですが
何故43度なのという単純な疑問がわきました
最初は着弾地点と砲の直線距離と仰角がなす角度が45度とも思いましたが計算したところほとんど変化なく、
次に砲弾の受ける空力効果で2度分の角度を弾がホップするため?と疑い
つたない計算ながら若干ホップすると出ましたが
2度分の角度には遠く及びませんでした。(角度で0度12分~13分ほど)

長門型の最大仰角が43度までしか取れないのは知っていますが
これは43度で最大射程が得られたためなのでしょうか、
それとも43度以上が機構上取れなかったため最大射程時の仰角が43度となったのかどちらなのでしょうか?

お手数おかけいたしますが御教授の程よろしくお願いいたします

 

始めまして

 投稿者:Yamauchi  投稿日:2018年11月17日(土)18時10分27秒
返信・引用
  サイトを拝見しました。大変勉強になります。

海軍関連で一つ質問があるのですが、ダメージコントロールで防水作業を
する際には↓のように木材で押し付けたりして水の侵入を防ぐようですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB#/media/File:US_Navy_091020-N-7498L-053_Sailors_secure_the_K-type_shoring_during_damage_control_training_at_the_Center_of_Naval_Engineering_Learning_Site_Pearl_Harbor.jpg

このような場合、水の侵入を想定していないようなハッチ、例えば、
上の区画から下の区画に浸水するような場合が仮にあったとして、
下側の区画から、上の区画に通ずるハッチを防水できるものでしょうか?

シロウト質問で恐縮です。
 

Re: 近畿地方所在の旧陸海軍航空基地を拝見しました

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月16日(金)18時53分19秒
返信・引用
  hush さん、こん**は、こちらこそいつも勉強させていただいて、その博識に感嘆させられて
おります (^_^)

旧海軍の航空基地名はともかく、旧陸軍の飛行場名については残された資料に乏しく、旧海軍の
水路部作成資料などでも正式名称かどうか疑わしいものがありますので、ご指摘のとおり旧陸軍
としての正式名がよく判らないところが多々あります。

四日市飛行場もその一つで、一応ここについては米軍資料に基づいていますが、米軍でもここが
日本側の通称として伊船と呼ばれていることは認識しています。 それでも敢えて四日市として
いることから本サイトでもこの名称を使っている次第です。


遺構のご紹介、ありがとうございます。 私も興味はありますので追いかけて見たいとは思うの
ですが、とてもその余裕はありませんし、またネット上などでもその関係の記事は沢山公開され
ておりますので、今のところ手を広げないようにしているところです。

また秘匿基地など戦時急造のものが各地に数多く建設又は建設途中でしたが、『旧海軍の基地』
コーナーでの旧陸海軍の航空基地は、一応日米の史料で整合が取れ、かつデータ類が揃っている
ところに絞って、旧陸海軍の正規の航空基地及び飛行場を一覧でご紹介しているところです。

このため例えば第二大和などはこの秘匿・分散基地の一つではありますが、日米双方の史料中に
キチンとありますし、正式な名称も定められておりますので入れております。

逆に第三鈴鹿などはその名称は終戦時の旧海軍文書にも出てきますが、正確な位置や状況を含めた
情報が日米共にありませんので省略している次第です。


どこまでを網羅するかは難しいところですが、どこかで割り切らなければなりませんので・・・・


 

近畿地方所在の旧陸海軍航空基地を拝見しました

 投稿者:hush  投稿日:2018年11月16日(金)00時26分39秒
返信・引用
   いつもお世話になっております。
 近畿地方所在の旧陸海軍航空基地、地元ですので、興味深く拝見させていただきました。
 八日市飛行場は正門が近隣の公園に残っています。
 四日市飛行場は、アメリカ軍の記録にもIFUNE A/Fと記されているようですが、この伊船は四日市市ではなく、鈴鹿市にございます。地元では、椿秘匿飛行場と呼ばれていますが、鈴鹿陸軍ト号用飛行場、追分飛行場という名称でも記されているようです。ただし、正式名称は不明ですが、四日市飛行場という名称は初めて聞きました。
 遺構としては、土製掩体がいくつか残っているようですが、私が見たのは鈴鹿市長沢町の長瀬神社駐車場脇に、相撲の土俵に改造されたものだけです。
 北伊勢飛行場については、格納庫の基礎が工場の敷地内に残っています。また、兵舎跡に建てられた亀山市立川崎小学校の正門は、飛行場の正門を移築したものです。
 なお、Google Mapで旧北伊勢陸軍飛行場掩体を検索してもらいますと、コンクリート製の掩体が出てまいります(ストリート・ヴューでも確認できます)。
 明野飛行場は、祖父が建設に関わったという話があって、私には強い関心があるのですが、門や、当時の建物が、少し残っています。
 また、記載にはございませんが、三重県内には、三重郡菰野町に竹永陸軍特攻用飛行場、津市高野尾に第3鈴鹿航空基地が建設中だったようです。
 写真は、八日市飛行場正門、鈴鹿航空隊番兵塔、同正門です。他にもありますので、もしも必要でしたら、お申し出下さい。
 
 

今週の更新

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月11日(日)11時50分37秒
返信・引用
  管理人の桜と錨です。

今週の更新として『旧海軍の基地』コーナーの続きで『近畿地方所在の旧陸海軍航空基地一覧』
の頁を追加公開しました。

今回はちょっと遊び心で、旧陸軍の明野、伊丹、大正の3飛行場については、少し古いですが
『航空路図誌』から平成8年現在のそれぞれのものをご紹介してみました。

さて次は一応中国・四国地方を予定しておりますが・・・・


 

Re: きりしま

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月 5日(月)21時24分20秒
返信・引用
  > No.4898[元記事へ]

JANETさん、こん**は。

>いまさら移動はないのかな

「きりしま」は横須賀で国内外の要人の接遇用ですから (^_^)


 

Re: 久しぶりの呉

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月 5日(月)21時22分26秒
返信・引用
  キャプ専クックさん、こん**は。

>訪問艦艇に旭日旗を掲げるなという常識外れの無礼な国が

まあかの国はどうしようもないところですので。

日本のマスゴミはほとんど言及しなかったようですが、多くの国が参加を取り止めたり、
参加した僅かなところも自国の軍艦旗を堂々と掲揚したりで、中には当日ドタキャン
(入港してこなかった)国もあったようですね。

>シーマンシップはどうしたのでしょうね(`ヘ´) プンプン。

潜れない潜水艦等々、シーマンシップ以前の海軍なので (^_^)


 

きりしま

 投稿者:JANET  投稿日:2018年11月 5日(月)08時36分35秒
返信・引用
  江田島のPXなら帽子があったような?
空自のT-4だったらIRANきっかけに@@基地に移動だったりするけどイージス艦は
聞かないですね、でも木っ端なw護衛艦はまま移動してますよね

もちろんきりしまは、横須賀湾巡りの船着き場にいくとチョロQきりしまもあるから
いまさら移動はないのかな
 

Re: 久しぶりの呉

 投稿者:キャプ専クック  投稿日:2018年11月 2日(金)09時10分9秒
返信・引用
  桜と錨さん、こん**は。

> 11月1日は自衛隊記念日ですね。

それは失礼しました。何せ海自にはいささか疎いもので・・・
当日は行動中の艦ではああやって満艦飾で式典が挙行されるのでしょうね。間近で見てみたいものです。

ところで余談ですが、訪問艦艇に旭日旗を掲げるなという常識外れの無礼な国があったようですが、
シーマンシップはどうしたのでしょうね(`ヘ´) プンプン。
 

Re: 久しぶりの呉

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月 2日(金)00時38分2秒
返信・引用
  キャプ専クックさん、こん**は。

あれっ、呉にいらしてたんですか。

>情報や写真などは大抵がよく知っているものだったので、

大和ミュージアムには元々図面と写真以外の史料は少ないですし、それに「長門」にそれほど
詳しい人はいませんので ・・・・ (^_^;

>なぜだか満艦飾を施している

11月1日は自衛隊記念日ですね。

>『きりしま』のものを求めようとしましたが、あいにくありませんでした。

「きりしま」そのものが呉には縁が薄いですから、商売としてはいたしかたないのでしょうね。
でも申し訳ありませんが、やはり「きりしま」の方が断然かっこいい (^_^)
 

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