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Re: 飛行基地

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年12月11日(火)10時42分24秒
返信・引用
  > No.4951[元記事へ]

キャプ専クックさん

>「海軍航空隊可部基地匿名国安牧場」

その様な内容で旧海軍から村には指示が出たのかもしれませんね。

ただ、ご存じのとおり旧海軍における航空基地の正式な名称は「○○(海軍)航空基地」です。
部内文書としては「海軍」を省く場合が多いですが。

この正式名称が付けられて初めて旧海軍において公式の航空基地として取り扱われることになります。

可部と同様な中国・四国地方の分散・秘匿基地でも「第二徳島航空基地」や「第三高知航空基地」の
様に正式名称が文書として残っているものもあります。



 
 

Re: 飛行基地

 投稿者:キャプ専クック  投稿日:2018年12月11日(火)09時06分59秒
返信・引用
  > No.4950[元記事へ]

桜と錨様、こん××は

確かに史料などは残っていなさそうですね。
町史では「海軍航空隊可部基地匿名国安牧場」を作れと秘密指令で村長に申し渡しが
あったとありますが、おそらく正式な書類は進駐軍を恐れて処分されたのでしょう。

また、平面図などを見ると今の国道54号を含んで幅40m、長さ1,200mの滑走路
だったとか。戦後元の状態に戻されたそうですが、そのままにしてあればのちのち国道の
拡幅に悩むことがなかったのでは(^_^;)

私も気をつけて見ているのですが、残念ながら今では飛行場の面影は全くありません。
ただ、国道が不自然なほど直線になっているところがそれらしいと言えば言えるかと。
 

Re: 飛行基地

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年12月10日(月)23時15分56秒
返信・引用
  キャプ専クックさん、こん**は、ご紹介ありがとうございます。

ここはネットでも史跡ガイドや郷土ガイド的なところ、あるいは「飛行場」と名の付くところ
全てを扱うところでは割と知られている基地ですね。

可部は旧海軍の基地ですので、データが揃えば分散・秘匿基地といえども例えば「第三高知」の
ように当方サイトのリストに加えたいと思いますが、残念ながら日米とも公的なものが全く無い
ところです。

何しろ、正式名称でさえ「可部」なのか「国安」なのか、あるいは所在地名の「下根」なのかも
不明です。


 

飛行基地

 投稿者:キャプ専クック  投稿日:2018年12月10日(月)21時03分28秒
返信・引用
  桜と錨様、こん××は。

いつも興味深く見させていただいてますが、今回掲載された『中国四国地方所在の旧陸海軍航空基地』に関連し
て思い出したことがあります。

私の家のすぐそばに戦時中に飛行機の格納庫跡があり、子供の頃にはそこから国道まで出る道を
「誘導路」と呼んでいました。当時は意味もわからず「ユードーロ」と言っていました(^_^)

又、当時の年寄りから「あそこには二枚羽根の練習機があって、敵機の来そうなときはすぐに隠していた。
まあ、こんなところで隠れているようじゃ勝てるわけないよのう」と聞かされたこともあります。

実は半信半疑でしたが(家族は呉で父は外地でしたので、知らなかったそうです)、我が町の「町史」に詳細があり、
名称を「海軍航空隊可部基地」といい、言わずと知れた特攻機の飛行場です。
しかしながら、使用する飛行機が複葉九三式の練習機を当てたとあるのでとても戦果など望めそうもありません(^_^;)

また、可部基地とは言いますが場所は今の安芸高田市内です。
ただ、完成直後に終戦となって飛行訓練だけで終わり、飛行機は原隊の峯山航空隊に空路帰還したとか。

もちろん、管理人さんがお載せになるような基地などではありませんが、各地にこのような小規模の基地を
分散させて何とか秘匿しようとしていたのでしょうね。
 

今週の更新

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年12月10日(月)00時44分14秒
返信・引用
  管理人の桜と錨です。

年末でバタバタしており更新が滞っておりましたが、やっと仕事関係は一段落しましたので、
何とかコンテンツの追加を。

今週はこれまでに続き『旧海軍の基地』コーナーに『中国四国地方所在の旧陸海軍航空基地
一覧』ページを追加しました。

この地方は旧陸軍関係は6飛行場しかありませんで、ポップアップ・データの作成はその分
楽です (^_^;

なお、前回同様に戦後も航空基地として残っている(いた)旧陸軍の3個所については概説の
欄で『航空路図誌』からのものをご紹介しています。

特に旧高松空港は移転直前のものですので、今となっては珍しいと思います。

このコーナー、次は順番で九州地方を考えていますが、ここはちょっと面倒くさいですね (^_^)


 

Re: 世代交代

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年12月10日(月)00時41分25秒
返信・引用
  脇さん、こん**は、ご紹介ありがとうございます。

>14号 ・・・(*^。^*)です。

私達の時は11号しか無く、その後技術研究本部の実験船を無理矢理押しつけられたのが
12号でしたが、あれから45年以上経って14号ということは・・・・ですね (^_^)

それにしてもスタイルはもう少し斬新な見栄えのするものにできなかったのでしょうか。

 

世代交代

 投稿者:  投稿日:2018年12月 8日(土)08時49分16秒
返信・引用
   こんにちは。
14号 ・・・(*^。^*)です。

http:// 

 

Re: 再び

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年12月 4日(火)12時06分11秒
返信・引用
  戸田S.源五郎さん

大変申し訳ありませんが、今になって拙稿記事を要約されて “こういうことか” と言われましても
・・・・ (^_^;

当該記事は電纜敷設艇について解説したものであり、記事に書いたとおりです。

そして本ブログでお答えしてきましたことは、電纜敷設及び特設艦船についての旧海軍の考え方を
ご説明したものです。



 

Re: Re^2: 釧路不時着陸場について

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年12月 1日(土)15時45分36秒
返信・引用
  > No.4940[元記事へ]

TRONさん

>函館の陸軍赤川飛行場

赤川については、米軍地図にもあるところですが、肝心な旧陸軍史料はもちろん、戦史叢書ではその
名称さえ出てきませんので、終戦時までにどの程度のものであったのか不明です。

そもそも正式名称が「赤川陸軍飛行場」であったのかさえ判りませんので、更なる詳細が判明するまで
保留としております。

したがって、ここも当方のリストから “抜けている” のではなくて “入れていない” ところの
一つです。

そういう意味では、そろそろ「苫小牧」を入れてもいいのかもしれませんが・・・・

旧陸海軍の航空基地、特に旧陸軍のものについてはまだまだ判らないところばかりです。

皆さんから情報を頂きながら少しずつ、というところですね。

 

Re: Re^2: 南大東島基地について

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年12月 1日(土)12時16分6秒
返信・引用
  TRONさん、こん**は。

>(陸軍)徳之島第二

はい、米軍資料のリストには出くるものの、地図に第一はありますが第二はありませんね。

>石垣島の海軍第一(北)航空基地

第一石垣は海軍の航空基地ですので一応当方のリストにも挙げる予定でおりますが、ここも
データが極端に少ないところの一つですね。 終戦時までに完成していたのかのどうかも含め
その状況についてはほとんど判りません。

それにしても、よくお調べになっておられますね (^_^)


 

Re: 電纜庫

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年12月 1日(土)11時16分59秒
返信・引用
  > No.4938[元記事へ]

戸田S.源五郎さん


どのようにお考えになられるのかはご自由ですから、それはそれで全く構わない話しですね。

いずれにして、ありがとうございました。 私としても勉強させていただきました。

 

Re^2: 釧路不時着陸場について

 投稿者:TRON  投稿日:2018年11月29日(木)22時16分51秒
返信・引用
  > No.4937[元記事へ]

桜と錨さん、早速の返信ありがとうございます。

愛国釧路飛行場の件、了解です。
ただ、昭和22年の米軍空中写真には格納庫?や走行跡が見えるので、何らかの形で
維持はされていたように見えます。
釧路市史にも敗戦までの扱いについては特に記載がないので、釧路に行く機会に
市史編さん室や教育委員会等に問い合わせようかと思います。

> 終戦時までに数多くのものが建設又は建設中で
> あった急造の単なる滑走路のみ(Air Stripなど)の応急、臨時的なもので、データが揃って
> いないものは基本的に省略することとしております。

貴HPの掲載基準については、先にも書きましたとおり了解です。
ただ、函館の陸軍赤川飛行場については、米側の史料と函館市史にも記載があります
ので、参考までに、米軍偵察写真と戦後(昭和23年)撮影の空中写真を合成したもの
をお送りします。
 

Re^2: 南大東島基地について

 投稿者:TRON  投稿日:2018年11月29日(木)21時59分59秒
返信・引用
  > No.4936[元記事へ]

「桜と錨」さん、早速の返信ありがとうございます。
個々のHPの記載基準については、当方が口出しすべきことではないので了解です。

> 今当方サイトの航空基地一覧ページ用に南西諸島のコンテンツ作成の準備に入ったところですが、
> この南西諸島はよく判りません (^_^;

参考までに(既にお手元にデータはあるかと思いますが)、当方が南大東島の飛行場
に最初に興味を持つこととなった、昭和19年米軍作成の南大東島見取り図と南西諸島
の飛行場一覧を添付します。

南西諸島飛行場一覧については、米軍側も結構混乱しているようで、徳之島や沖縄本島
の飛行場の識別がごちゃごちゃになっています。
特に(陸軍)徳之島第二については、戦史叢書などでは第一飛行場の南方(瀬滝地区)
に建設を開始したものの昭和19年8月に工事中止という記載も見えますが、米軍の飛行場
一覧には載っているなど(戦後の空中写真にもそれらしき地形が見えなくはない)、
どういう状況だったのかよく分かりません。(苦笑)

むしろ宮古島や石垣島(海軍第一を除く)の方が戦時中の写真や施設配置が結構公開
されていて、分かり易いくらいです。
但し、石垣島の海軍第一(北)航空基地については、戦後の空中写真から、場所と民間
飛行場時代の地割は判読できるのですが、肝心の海軍時代/戦時中の写真が全く見つ
からず、お手上げ状態です。

くどくどと続けてしまいましたが、南西諸島方面の史料整理頑張ってください。
 

電纜庫

 投稿者:戸田S.源五郎  投稿日:2018年11月29日(木)19時11分8秒
返信・引用
  管理人様

いろいろご教示いただきありがとうございました。
こういうことは、一人でいろいろ調べるより他人様の意見とか見解を聞くと、それに対する反論とかその裏付けも踏まえて文献を当たることになりますので非常に効率的です。
今回のやりとりで普段は外見しかみなかった、電纜敷設艇の内部(電纜庫)まで調べる機会に恵まれましたし、海軍の言う電纜と電線の定義も見つけることができました。海底電線の直径とか電纜の直径とか普段何気なく見ていたものも今後注意深くみるようになると思います。電纜敷設艇か海底電線を敷設できないこともはっきりしましたし、電線敷設船か管制機雷を敷設できないこともはっきりしました。今現在の知識ではこれ以上とうてい管理人様には太刀打ちできないので、ひとまず退散いたします。力をつけたら再度門を叩きますのでその節は宜しくお願い致します。
最後に一つ新たに気づいたことだけご報告します。特設電線敷設船の戦時日誌を読んでいるとこれらが積み込んだり敷設するのは「電線」なのですが、それを積み込む先は電「線」庫ではなく電「纜」庫です。そして機関科が所掌する部分では同じものを電「纜」と書いています。さすがに機雷科の人たちは教科書を良く勉強しているようです。

http://tokusetsukansen.jpn.org/

 

Re: 釧路不時着陸場について

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月29日(木)18時51分36秒
返信・引用
  > No.4935[元記事へ]

TRONさん、コメントありがとうございます。

>釧路不時着陸場

はい、「愛国飛行場」ですが、ご指摘のとおり不時着陸場としての実際の転用については不詳です。
また、当初海軍が予定していたのは当該地より多少離れたところですが、これは昭和8年に断念した
ともされており、その後の状況もよく判りません。

しかしながら、米軍資料にもあるとおり、「愛国飛行場」が軍の関与無しに大戦末期においても
そのまま使用可能状態で維持されたとは考えにくいところがありますので、現在のところ旧海軍の
不時着陸場として一覧に入れておりますが、旧海軍の正式な使用の無いことがハッキリすれば削除
したいと思っております。

もし終戦までの状況につきまして詳細な記録などがありましたら是非ご紹介下さい。


>計根別地区の陸軍飛行場は第一~第五まで

はい、第五とよばれるものの存在は存じておりますが、当方のサイトでは飛行場・航空基地
(Air Field、Air Baseなど)としてではなく、終戦時までに数多くのものが建設又は建設中で
あった急造の単なる滑走路のみ(Air Stripなど)の応急、臨時的なもので、データが揃って
いないものは基本的に省略することとしております。

これはご指摘の洞爺湖や函館などについても同様です。

これらを含め始めますと、キチントしたデータが無いために推測・推定に基づくものが多くなり、
収拾がつかなくなりますので。

当該コーナーでも記しておりますが、一応日米の史料相互で確認が取れ、確かなデータがある
ところに絞っておりますことをご了解下さい。

 

Re: 南大東島基地について

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月29日(木)18時45分23秒
返信・引用
  TRONさん、はじめまして、ご紹介ありがとうございます。

>後に航空基地(飛行場)に格上げになった

はい、これは当該ページでも述べておりますが、「南西諸島航空隊」の戦時日誌では「南大東島基地」
とされているものの、旧海軍で当初の不時着陸場から正式な「航空基地」となったのか、なったと
したらその時期、根拠は、などは判りませんので、標題としては不時着陸場のままとしております
ことをご了解下さい。 これは根室や潮岬と同様です。


>米軍空撮写真では南大東島基地の全体平面写真が無い

そうなんですよね。 米軍資料もご紹介いただいた2枚目のものは当該ページでも示しておりますが、
私もまだ基地全体のレイアウトがハッキリと判る写真や図が入手できておりません。

米軍資料にも沖縄も含めた南西諸島に関するものがあまり無いんですよね。

今当方サイトの航空基地一覧ページ用に南西諸島のコンテンツ作成の準備に入ったところですが、
この南西諸島はよく判りません (^_^;


>滑走路の寸法は

ありがとうございます。 参考にさせていただきます。


 

釧路不時着陸場について

 投稿者:TRON  投稿日:2018年11月29日(木)15時10分45秒
返信・引用
  「桜と錨」さま、連続投稿ご容赦ください。

さて、釧路不時着陸場の件ですが、当方が(旧)釧路市図書館で見つけた資料に昭和13年11月6日の釧路飛行場開場式の記念誌がありました。著作権の関係上、全ページをアップするわけにはいかないのですが、間違いなく現在の釧路市愛国にあった「飛行場」です。
また、海軍は釧路の第一と第二の航空基地を設置する計画でしたが、そのどちらかが上記飛行場の転用を考えていたものと類推します。(実際には転用は無かった模様。)

なお、北海道の飛行場一覧(暫定)では函館の陸軍飛行場(2ヶ所?:うち1か所(赤川)は未完成)と洞爺湖の水上機基地(杭を打ち始めたところで敗戦)が抜けていますので、蛇足までに。
さらに、計根別地区の陸軍飛行場は第一~第五まであります(昭和19年部分修正の軍用地形図に記載あり、但し第五は滑走路のみ)ので、参考までにご連絡します。
 

南大東島基地について

 投稿者:TRON  投稿日:2018年11月29日(木)14時21分7秒
返信・引用
  初めまして、「桜と錨」さま。

私も結構前から趣味で敗戦までの国内の飛行場を調べていますが、貴HPを見つけて興味深く拝見させていただいています。
さて、標題の南大東島の件ですが、私も史料的にはおそらく「桜と錨」さまと同程度かそれ以下しか見ていないと思うのですが、国会図書館HPで公開されている米軍空撮写真を見ていると、滑走路の新設・拡張だけでなく、誘導路や無蓋掩体の設置など本格的な工事を行ったことが分かり、当初は「不時着陸場」だったかも知れませんが、後に航空基地(飛行場)に格上げになったものと思っています。

残念ながら、インターネットで公開されている米軍空撮写真では南大東島基地の全体平面写真が無いため、空襲中の写真と1963年の国土地理院空中写真から類推するしかないのですが、一応、滑走路の位置だけはそれらしい痕跡があったので参考までに作成してみました。
なお、滑走路の寸法は
 1200m×80m
  880m×80m
  500m×80m
  500m×80m
 1500m×150m
となります。

ご考証の一助になれば幸いです。
 

Re: 不躾ですが

 投稿者:桜と錨  投稿日:2018年11月28日(水)22時01分42秒
返信・引用 編集済
  > No.4932[元記事へ]

戸田S.源五郎さん

元々文章が上手くないのは自分でも認めておりますが ・・・・ ここまでのご説明で理解いただけて
いないのは残念です。


>日露戦争の昔から海底電線沈置船として逓信省の沖縄丸が使用された

ですから、それが“特設艦船”であり、徴用船ですね。

申し上げるまでもなく、一国としても、その海軍としても、限りある資源・人員と予算の中で、
重点的に絞っていかなければなりません。

海軍の艦船も同じで、戦闘艦艇を中心に、平時から最も重要かつ必要とするものから整備していく
ことは当然のことです。

しかしながら、いざ“戦い”となるとありとあらゆる役務が必要となりかつそれぞれの需要も増大
しますから、そのためには持てるものは何でも利用・活用することになります。

これは戦艦を始めとする主力艦はもちろん、あらゆる艦船でも同じことです。

そして、それでも旧海軍自身で整備してきたものだけでは平時においてさえ不十分ですから、戦時は
ありとあらゆるものが足りなくなります。

ですから、必要な時に、必要な期間、民間や公船で使い物になるものを徴用し「特設艦船」として
使うことになります。

つまり、要するにこのことが “旧海軍としての任務・役務のニーズの補完” であり “下請け”
なのです。

もちろん、これには本来は違う目的・船種のものであってもですし、ケーブル敷設船の様にように
そのまま使えるものもあります。 それはケース・バイ・ケースで、ひとえに何にどの様に使えるか、
ですね。

というより、逓信省の敷設船などはそのまま使用しても旧海軍の役務のニーズとして何ら問題がない
からです。

>通信線の敷設というものは軍事的に非常に重要なことで

通信が重要でないなどと言うことは聞いたことがありませんし、また別にこれに限らず他のものも
重要なことは言わずもがな、でしょう。

例え50トンの木造漁船であっても特設監視艇としての任務・役務は非常に重要なことです。

しかしながら、そのことと特設艦船として徴用して海軍の任務・役務のニーズを補完し、“下請け”
することとは全く別の話ですね。

>特設電線敷設船は聯合艦隊などに配属され

それはどこのニーズに応じるかの問題であって、艦種の問題ではありません。

もちろん防備隊と連合艦隊と言ってしまうと、さも見栄えがよく聞こえますが、実態は根拠地隊や
それと同じようなレベルでの話しですね。

そして要は数少ない「電纜敷設艇」がわざわざ南方に出かけていってケーブル敷設をやるまでもない、
ということですね。

そのことを“需要増に応じるため”の役務の“下請け”と言っているのですが?

>それ故に対潜監視と攻撃もできるよう

 それも所属云々とは別の問題ですね。


>私の言いたいことを理解していただけないのか

良く理解しておりますよ。 そしてそれが誤りであることをこれまで申し上げてきているところです。
逆にそれをご理解いただけていないようですね。


そもそも最初の話しで出た「電纜敷設艇」の「電纜」と「特設電線敷設船」の「電線」とは何で
しょう?

ご持論を読む限りでは、後者は逓信省の定義・用語に則ったものであり、その通信ケーブルだから
「電線」だと仰るのでしょうか? 特設艦船とはいえ旧海軍の種別名の名称に?

もし旧海軍にそのような定義があるとするなら、私は寡聞にして存じませんので、是非ともご教示
下さい。

既に最初のところで、私としては旧海軍における「電纜」と「電線」については明確に定義された
ものを知りませんし、見たことがありませんが、一般的には「電纜」とはケーブルとしての装備品
として組み立てられたもの、「電線」とはその電纜や装置のなどの構成品(パーツ)という認識と
申し上げました。

実際に、管制機雷でも、聴音機でも、探知器でも、一つの装備品としては「電纜」であり、その構成品
として、例えば「キャプタイヤ電線」などの「電線」として呼ばれてきております。

具体的な一例としては、下の旧海軍の文書にある管制機雷用以外のものにも出てくるように、です。

あとは先にお調べいただいた大正初期の水雷教科書草案にある様に、様々なケーブルの内で「電纜」
より小さいもの、ということですね。

これらが旧海軍としての認識であって、これと違う、逓信省がいう「電線」という通信ケーブルの
意味で、特設艦船の種別名に使用したと仰るわけでしょうか? 旧海軍として?


>同列に論じるのは適当ではありません。

適当であるかどうかは戸田S.源五郎さん個人のお考えですから、それはそれはでご自由ですが
・・・・ そのご持論が “適当でない” ことはずっと申し上げてきたところです。

老婆心ながら、海軍の艦船とは何か、特設艦船とは何かを、最初に立ち戻って考え直されることを
お勧めします。

鼎の軽重を問われかねませんので。

いずれにしましても、ご持論のご紹介をありがとうございました。 私も勉強をさせていただきました。


 

不躾ですが

 投稿者:戸田S.源五郎  投稿日:2018年11月28日(水)01時35分30秒
返信・引用
  管理人さま

いろいろご教示いただいているにもかかわらず、どうも私がとんちんかんなお返事をさしあげていることにご立腹でないでしょうか?正直なところ私もどうして管理人様が私の言いたいことを理解していただけないのかと思っており、その原因は何かということを改めて考え直してみました。そこで思いあたったのはまず私が海底に敷設するケーブルというのは管制機雷用の電纜と通信用の電線の2種類しかないと思い込んでいたこと。そして管理人様のレスをよくよく読むと「そうじゃないだろ、聴音機、磁気探知器など他にも海底に敷設するケーブルなんて星の数ほどあるだろ」という点なのではないかと気づきました。管理人様にあっても私がそういう思い込みの上で書き込みをしていたと理解した上で、私が述べてきたことをお読みいただければある程度言わんとしたことがご理解いただけるのではないかと思います。
そういうことを踏まえて、管理人様のレスを読むと非常に理解しやすくなり私としてはちょっと霧が晴れた気分です。もしそれも勘違いならば、これから書くことは無視していただいて結構です。
まず、私の認識は「逓信省が所管することについて、その船や物をどの様に呼び、そしてそのための船や物をどの様に作りどの様に作業しようとも、それは逓信省のことであって、旧海軍とは別の話であり、 別の問題ですね。」とおっしゃることと真逆です。通信線の敷設というものは軍事的に非常に重要なことで日露戦争の昔から海底電線沈置船として逓信省の沖縄丸が使用されたことはご存じのことと思います。特設電線敷設船というのは、この流れを汲み当時東洋丸、南洋丸、小笠原丸の3隻しかなかった電線敷設の能力をもつ特殊船を有事にあって補完するために設定された船種で、管制機雷用の電纜や、その他雑多な電纜の敷設を行う“下請け”の船ではありません。そのような任務であれば、わざわざ特殊な能力をもつ電線敷設船を使う必要はなく、運貨船と起重機をもつ船の組み合わせでなんとでもなり、管理人様自身「その敷設には専用設備を有するものではなく、さまざまな艦船がそのときどきで使用され利用されてきた」とお書きになっております。山霜丸は逓信省の電線敷設船の不足を補うため徴傭され、山霜丸が撃沈されると代船として王星丸が特設捕獲網艇から役務編変更されたのです。特設電線敷設船の「主トシテ」という部分を通信線以外の電線類とお読みになっていらっしゃいますが私はこの部分は特設艦船のような船は元は貨物船でしょうから、従たるときは実際に行っていた行動からみても、輸送や、可能な場合は船団護衛などに従事することを意味していると考えます。
敷設艦の説明に特設敷設艦を引き合いに出すのは正しいです。そして(逓信省の)電線敷設船の説明に特設電線敷設船を持ち出すのも正しいです。しかし電纜敷設艇の説明に持ち出すとしたら(存在しない)特設電纜敷設艇であり特設電線敷設船でありません。特設電線敷設船は聯合艦隊などに配属され広域での電線敷設に従事しました。初島型の電纜敷設艇は防備隊に所属する特務艇であり、それ故に対潜監視と攻撃もできるよう、機雷(九二式)個のほかに爆雷9個(機雷のないときは爆雷18個を搭載」しました。船団護衛についても防備隊の所管区域で行う分には航続距離はさほど問題ではありません。長距離の護衛を行っているのは遠くの作業地に駆り出されたときに作業地から作業地に移動するときに「海軍として必要とする任務・行動に使えるものなら、その種別にかかわらず活用」されていたにすぎません。
繰り返しになりますが電線敷設船と電纜敷設艇はそれぞれ全く異なる目的、用途の専用船でありケーブル敷設という点だけで同列に論じるのは適当ではありません。

http://tokusetsukansen.jpn.org/

 

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