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(無題)

 投稿者:山田吾一  投稿日:2016年11月27日(日)12時53分43秒
返信・引用
  ご迷惑とのこと。投稿は削除していただければ幸いです。すみませんでした。  
 

Re: 戦艦長門作戦室の位置は?

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年11月26日(土)21時53分35秒
返信・引用
  山田吾一さん、管理人の桜と錨です。

度々申し上げてきていることですが、申し訳ありませんが、ここは個人が運営する掲示板で、
2チャンネルや匿名Q&Aサイトのようなところではありません。

単なるご質問のみを書き込まれるのでしたら、そういった適当なところでお尋ねください。
識者の方々からすぐに回答をいただけると思います。

なお、原書房から出ている『日本造船史別冊 日本海軍艦艇図面集』などはチェックされた
のでしょうか?


 

戦艦長門作戦室の位置は?

 投稿者:山田吾一  投稿日:2016年11月26日(土)15時18分55秒
返信・引用
  戦艦「長門」の連合艦隊司令部が使っていた「作戦室」がどこにあったのかを知りたいのですが、
当地で目にできる書物やネット情報は外観図や砲塔などに関するものばかり。
戦艦「大和」などは艦橋にあったことが図面で確認できますが、「長門」の図面はまだ見たことがありません。いろいろな手記でもほとんど触れられていませんし、作者により矛盾した表現も。
せめて、艦橋にあったか、それとも他のところかなどだけでも知りたいのです。
ご存知の方お教えください。
 

Re: お返事有難うございます

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年11月10日(木)23時49分35秒
返信・引用
  下っ端社員さん

>パターン走行魚雷は存在はした

結果として実用にならず試作・実験段階で終わったものも含めるならば、ですね(^_^)

もちろんそれを言うと、ロケット魚雷とか、航跡追尾魚雷とか、いろいろ出てきますが。



 

お返事有難うございます

 投稿者:下っ端社員  投稿日:2016年11月 8日(火)01時12分7秒
返信・引用
  パターン走行魚雷は存在はしたのですね…
しかし大和ミュージアムの方は資料研究には使いにくい
(というよりそこで勤務しないと知る由も無い?)のですね…
 

Re: 帝国海軍のパターン走行魚雷?

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年11月 7日(月)22時02分37秒
返信・引用
  下っ端社員さん、こん**は。

>円形のパターンを描いて航走する魚雷

防衛研究所が纏めた資料によりますと、昭和19年3月に試作されましたが結局上手く
行かなかったため、実用化もされず実戦での使用もなかったとされています。

また、この魚雷が具体的にどの様なものであったのかの詳細については、史料を持って
おりませんので残念ながら判りません。


>収蔵資料データベースから検索出来ても見る事は出来ない物が有る

ネット検索ではなく、大和ミュージアムの閲覧室にある専用端末で検索できるものは、
全てその端末から見ることができます。

問題なのは、そのデータベースに載っているものは収蔵史料の一部に過ぎないという
ことです。

例えば、遺族が同館に売却した故福井静夫の史料は一体何があるのかその一覧表さえ
掲載されておりませんし、学芸課に問い合わせても教えてくれません。

データベースに載っていないものは、具体的に「〇〇は?」と個々の史料名を挙げて
問い合わせれば、その有無について教えてくれます。

その結果もし収蔵されていたとしても、その閲覧には呉市長宛の申請書により許可を
受けることが必要になります。

もちろん閲覧時には書き写すこと(いわゆる「写経」)は可能ですが、コピーも写真
撮影もできません。 その場合は別途申請が必要になります。

 

帝国海軍のパターン走行魚雷?

 投稿者:下っ端社員  投稿日:2016年11月 6日(日)20時01分46秒
返信・引用
  お久しぶりです。
今回、ふとネットを漁っていて気になった事(信憑性は不明)ですが、私の訳が正しければ帝国海軍の対潜哨戒機が円形のパターンを描いて航走する魚雷(まるでドイツ海軍の対船団魚雷?)を一時期搭載していたという可能性が有りますが実際はどうだったのでしょうか?
あと下の方で話題になっておりました大和ミュージアムですが資料は収蔵資料データベースから検索出来ても見る事は出来ない物が有るという事でしょうか?
長文失礼致します。

http://www.subsowespac.org/the-patrol-zone/japanese-airborne-magnetic-detector.shtml#note6

 

Re: アメリカ巡洋艦史

 投稿者:キャプ専クック  投稿日:2016年10月27日(木)22時57分23秒
返信・引用
  > No.4549[元記事へ]

桜と錨様、こん××は。

わかりやすい解説をありがとうございます。

要するに、新しい兵器(この場合ミサイル搭載など)に移行する過渡期にあたるため、
安定した性能の既存の艦艇を改装し、その使用実績をもとにさらに実用性の高い新型艦を
設計し造っていくということになりますか。

いきなり新設計の艦艇を造るのはリスクが大きいということになるのですね。

私はミサイル搭載だけが頭にあって、それを運用するには複雑なシステムや装備が必要で、
米国といえども当時は未知の世界であり、計画・設計には多大な時間がかかるということ
が意識から抜け落ちていました。

素人というのはこんなもんです(>_<)

 

Re: アメリカ巡洋艦史

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年10月27日(木)17時25分52秒
返信・引用
  キャプ専クックさん

詳しくご説明すると長くなりますので、手短に。

>なぜ改装という回りくどい方法を

回りくどいというより、堅実かつ現実的な方法ですね。

大戦期のプロペラ機に対するハリネズミのような対空砲熕兵装から、戦後のジェット機化・
ミサイル化に対抗する対空ミサイル・システムの開発により、これを搭載する艦艇の計画は
新造艦及び改造艦の両方が平行して進められました。

ご存じとは思いますが、一般的に新しい艦艇を建造するに要する期間は、実際の造船所での
建造期間よりも、その前の基本構想に始まり基本計画、基本設計に至る期間の方がはるかに
長いのです。

これは新しい艦艇に要求されるもの充たすためには、船体から兵装までありとあらゆる条件
に対して様々な性能要目の案を検討する必要があり、かつその間の兵器の進歩とそれによる
用兵思想の変化にも対応していかなければなりません。

そして新しいシステムを搭載するためには、単にシステムの開発段階の試験だけではなく、
それを搭載した艦艇が実際のオペレーションに適するかを確認しなければなりません。

特に「オルバニー」型のように、それまでの砲熕兵器を廃しオール・ミサイル・システム化
するには、いきなり新造艦を建造するのは大きなリスクが伴います。

したがってミサイル艦としての有効性の確認のためには、取り敢えず既存艦を改造して搭載
の上、実際に運用して試して必要なデータ・教訓を得ることが必要になってきます。

もちろん「オルバニー」型の改造にあたっても、単にポンポンと乗せたわけではなく、慎重
な検討を重ねた上であの形に落ち着いたわけです。

経済的なことを言うなら、ミサイル・システムとその関連装備だけで莫大な費用がかかり、
これに大規模な船体の改造費用がかかりますので、これが理由ではありません。

「オルバニー」型以外の改造艦にしても、戦後の新規計画艦が誕生するまでの、取り敢えず
の既存艦の活用ということで進められたものです。

簡単ですがこんなところで。


 

アメリカ巡洋艦史

 投稿者:キャプ専クック  投稿日:2016年10月26日(水)16時59分57秒
返信・引用
  桜と錨様、こん××は。

世界の艦船「アメリカ巡洋艦史」を読ませていただきました。
一々数えられませんが、いつもながらいろいろと詳しいことがわかり面白かったです。

そのうちで、「オルバニー」の改装についてが特に印象深かったのですが、改装前後の写真を見ると
とても同じ艦とは思えません。

特にこのクラスは艦型がいかにも巡洋艦らしいスマートさで気に入っていたのに、改装後の姿はあまりにも…( ̄。 ̄;)

それにしても、船体をそのままに上部構造をすっかり新しくしていますが、桜と錨さんの解説にある図を見ると
船体内部も大幅に改変しているようですね。

素人としてよく理解できないのが、米国ともあろうものがなぜ改装という回りくどい方法をとったかということです。

最初から新設計で建造した方がはるかに合理的だと思うのですが。
それでもやっぱり経済的だったのでしょうか。
 

サイトの更新

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年10月16日(日)14時45分54秒
返信・引用
  管理人の桜と錨です。

まだまだバタバタが続いておりますので、残念ながらサイトの更新は
もう暫くお休みです m(_ _)m


 

Re: 武蔵乗組員のその後について

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年10月13日(木)18時11分39秒
返信・引用
  キャプ専クックさん、こん**は。

艦船航空機や海戦などと言う見た目のことだけではなく、その海軍という巨大組織と
いえども、所詮は“人”が動かすものですから、それが実際にどの様に組織され運営
されていたかのご理解の一助になれば幸いです。

 

武蔵乗組員のその後について

 投稿者:キャプ専クック  投稿日:2016年10月11日(火)17時10分4秒
返信・引用
  桜と錨様、こん××は。

ブログの方の”「武蔵」生存者は隔離された?”を非常に興味深く読ませていただきました。

まさに目から鱗が落ちるとはこのことです。
たしかにどのような戦争であれ、兵站や事務処理は絶対に必要ですよね。

考えてみれば、どんな激しい戦争が続いている間でも、人事や給与など平時の事務も進行していたのですから。
それに気づかせてくださってありがとうございます。
おかげさまで、武蔵乗組員のその後だけでなく他の艦船で救助された人々についての認識を改めました。

私事ですが、父が海南島に赴任する途中に輸送船が撃沈されたとき、救助されたものの目的地へ
たどり着くまで
苦労したようです(おもに事務手続きのため)。
何しろ辞令書はおろか身分を証明するものも殆ど失っているので、内地に確認するなどで随分手間取ったらしいですが、
そのことにあまり興味を持っていなかった私はくわしく聞いていませんでした。
今となっては心残りです。

このように戦闘や兵器の話だけでなく軍事の実態をご教示いただくのは大変ありがたく管理人さんに感謝いたします。
 

Re: 懐かしく拝見いたしました。

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年10月 7日(金)22時56分9秒
返信・引用
  三谷厚史さん、こん**は。

ご覧いただきありがとうござます。

こういう類のものも、誰かがディジタル化しなければならないものと思いますが、
なかなか時間が取れずに捗りません。

本来テーマのものも含めて、ほかにも沢山あるのですが・・・・(^_^;

それに何と言っても難しいのは著作権の問題ですね。 防衛省・海自などの古い
史料になると、その書いた人達の消息などは関係先に当たってもまず判りません。

まあそれで何某かのお金を目当てにする著作業などの人にとっては重大なことなの
かもしれませんが、このようなものでそれを言い出す人はまずおられないと思って
います。

もちろんそれでも公的機関・組織では法律上から無理なことと思いますので、私の
ような個人がある程度の見切りをつけてやるしか無いのかと。

 

懐かしく拝見いたしました。

 投稿者:三谷厚史  投稿日:2016年10月 6日(木)12時44分44秒
返信・引用
  「海気集」懐かしく拝見させていただきました。小学生のころ、大湊の実家にありました。今も探せばあると思います。ちなみに父は、舞練3期。私も数年前に定年退職したOB です。今後とも貴重な資料の公開を期待しております。  

Re: 資料展示に感謝いたします

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年10月 5日(水)22時17分6秒
返信・引用
  木村兼一さん、はじめまして。

色々な方に様々な方法で活用していただけると嬉しいですね。
公開する甲斐があるというものです(^_^)

 

資料展示に感謝いたします

 投稿者:木村兼一  投稿日:2016年10月 5日(水)18時39分6秒
返信・引用
  桜と錨様

初めて書き込みいたします。木村と申します。
Webサイトにて公開されている資料を拝見し、たいへん嬉しかったので、一言お礼を申し上げたく書き込みをさせていただきました。

拝見した資料は、「航空母艦 一般計画要領書」です。

私は、航空母艦「大鳳」のファンでありまして、3DCGで艦を再現したく資料を集めております。
一般計画要領書を読みますと、第130号艦として大鳳の情報が沢山記述されているではありませんか!
原本からは、書籍で省略されている多くの数値を知ることができました。

目標は、実物大の大鳳を3DCGで建造し、艦載艇に乗り海の上から艦を見上げたり、艦内を歩き回れるようなアプリケーションを作ることであります。

Webサイトには、他にも貴重な資料が掲載されておりますので、これらにも目を通し、建造に役立てたいと思います。
ありがとうございました。
 

Re: 大和Mと冒険

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年10月 2日(日)21時04分52秒
返信・引用 編集済
  出沼ひさしさん


>この二つの施設が近ければ

今の大和ミュージアムは見せ物中心の集客が最優先で、肝心の博物館としてはほとんど
機能しておりません。

何しろいまだにここに収蔵されている(遺族から購入した)福井静夫の資料一覧でさえ
研究者にも見せない有り様ですから。

それに1枚300円もする図面や写真のコピーもとても使い物になるような解像度では
ありません。 出版社やマスコミなどが高い取材費を出せば原紙からの写真複製が可能
なのかもしれませんが・・・・?

それでもピンポイントで“これを”と言わない限り、公開されているもの以外では何が
あるのか全くわかりません。

収蔵されている資料を研究用に活用する意思が本当にあるのかと思わされる始末です。

これは館長の戸高さんのせいではなく、お役所たる呉市そのものの姿勢です。

 

大和Mと冒険

 投稿者:出沼ひさし  投稿日:2016年10月 2日(日)00時17分38秒
返信・引用
  この二つの施設が近ければいろいろと調査も捗るだろうと思いますが…。

東京と呉ではちょっと遠いですね(-_-;)
 

Re: 本日

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 9月28日(水)14時16分58秒
返信・引用
  出沼ひさしさん、こん**は。


>特筆すべきは一部史料の写真複写(撮影)が自分でできる

おお、それは良い情報をありがとうございます。

>年末調整が終わったら写真複写に行く予定です。

私もあれこれ沢山コピーの欲しいものがあるのですが、東京を離れてしまうとなかなか
行く機会がありません(^_^;
 

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