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Re: 有難うございました

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月10日(日)00時11分6秒
返信・引用
  軍事史研究家さん

>「実際の戦闘中」という文言がありますが

確かにこれは一般の方々には少々難解なものがあるでしょうね。

「実際の戦闘中」というのは演習・訓練や艦飾・満艦飾などの場合ではないという意味で使って
おります。

では「戦闘中」とは何か、ということですが、これは何も発砲や発射を開始した時でないことは
ご承知のとおりです。 言葉を換えれば「戦闘行動を開始した時」ということにもなるでしょうが、
そうなると今度は「戦闘行動」とは何か、ということになるでしょう。

例えば海戦のために鎮海湾を出撃したときから戦闘行動では、ということにもなります。

これの時期について明文化したものはありません。 艦長あるいは部隊指揮官が今から戦闘開始
だと決心すればその時です。

部隊の例では、日本海海戦時の有名な連合艦隊の戦策で次の様に定められています。

「三 戦闘開始は第一戦隊の旗艦檣頭に軍艦旗を掲ぐるを以て表示す」

これにより27日午後1時44分 「三笠」 の戦闘旗掲揚に倣って各艦も一斉に戦闘旗を掲げて
おります。

この例は戦闘開始を明示した典型的な例ですが、通常はこのように予め示されたものはなく、
部隊指揮官、即ち旗艦が戦闘旗を掲揚した時点をもって部隊の戦闘開始とし、各艦も令無く一斉に
戦闘旗を掲げるのが通常です。

したがって、戦闘開始時期はその場その場での指揮官の判断・決心ですので、ご所見のように
単に時系列で表示してもあまり意味がありません。


>第一駆逐隊の序列に則り、「鎮海湾(加徳水道)」から出港しています。

おっとそうでした、直っていないままでしたね。 第一駆逐隊の5番艦として出港し、加徳水道
通峡後に「浅間」の指揮下でその後ろについていますね。

早速修正いたしました、ありがとうございます。


 
 

Re: お返事感謝します

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月 9日(土)18時08分48秒
返信・引用
  下っ端社員さん

>適当な機雷が無かった

現実問題として一言で言ってしまえばそういうことになります。

ただし、旧海軍の用兵思想から、潜水艦による機雷敷設は専用の艦以外の優先順位は極めて低い
ため、持たざる国としてはその開発装備に力を注ぐ余裕が無かったといえるでしょう。

そしてそれでなくとも性能や装備に制約の大きかった潜水艦にとっては、本来の任務での能力の
充実・向上が優先課題だったのです。

ではなぜ伊6潜がこの時期に機雷敷設を行ったのか。 それは第2段~第3段作戦期間における
戦況をお考えになればお判りいただけるかと。

 

有難うございました

 投稿者:軍事史研究家  投稿日:2016年 7月 9日(土)14時29分11秒
返信・引用
  ブイ繋留の回答ありがとうございました。ブイ位置が判ればまた連絡します。

戦闘旗について
「実際の戦闘中」という文言がありますが、日清、日露戦役では戦闘詳報がありますので、いつ掲揚したか会敵(出撃)から時系列に記した方が我々素人には判り易いと思います。
戦闘中というと、大砲を打ち合っている間と誤解されかねませんので。暁の戦闘詳報を見て感じました

暁の戦闘詳報について
>5月27日
>午前6時30分 竹敷出港

第一駆逐隊の序列に則り、「鎮海湾(加徳水道)」から出港し
ています。
 

お返事感謝します

 投稿者:下っ端社員  投稿日:2016年 7月 8日(金)22時17分54秒
返信・引用
  結局の所、帝国海軍潜水艦が発射管からの敷設が出来なかったというより適当な機雷が無かったのが実情という事でしょうか?  

Re: 帝国海軍潜水艦の機雷潜以外の機雷搭載について

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月 8日(金)21時53分59秒
返信・引用
  下っ端社員さん、初めまして。

旧海軍の機雷については潜水艦用のみならず水上艦艇、航空機用もよく判らないところがあります。
特に昭和期のものについてはほとんど史料が残っていません。

したがって戦後の海自史料も含めて現在までに判明したもの纏めたのが「水雷講堂」コーナーにある
機雷兵器解説の頁です。

この内、潜水艦用のものは魚雷発射管から射出するタイプ(「試製特種水雷」「二式機雷」など)と
機雷敷設筒より投入するタイプ(「八八式機雷」など)があります。

もちろん通常の水上艦艇用の機雷は重量的には上甲板に搭載することは可能ですが、敷設のためには
浮上しなければなりませんし、かつ専用の投下装置がない限り大変危険な作業ですので、まずこれは
あり得ないと言えます。

その上で私の推論も加えてお話ししますと:

昭和18年初めに臨戦準備で伊6潜が搭載していたのはご紹介の史料にもある「独式機雷」9個と
八九式魚雷11本です。(魚雷の最大搭載数が20本ですので、これで一杯一杯です。)

この「独式機雷」というのは旧海軍の制式名称には出てきませんが、18年1月に横須賀防備戦隊の
「沖風」が横廠機雷実験部による「独式機雷」の実験艦を命ぜられています。
(ただし「沖風」はそのすぐ後に米潜の雷撃により沈没しており、それまでの間の行動を考えると
この実験は行われていないと考えられます。)

また同年4月には内令931号をもって「独式機雷(潜水艦用)敷設操式草案」が作成・配布されて
おります。

このことに加え、伊6潜の戦時日誌では3月13日にブリスベン郊外で機雷敷設を行っており、
その時の記録で同日1746に「前扉開け、発射始め」と令されていますので、魚雷発射管からの
敷設と言うことになります。

これらを合わせて考えますと、昭和17年9月に横浜入港中の独商船「ドッガーバンク号」から
潜水艦用の機雷が譲渡されており、これは発射管から射出するタイプです。

そしてこれを調査して開発したのが「仮称三式機雷一型」(磁気)と「同二型」(音響)ですが、
昭和20年5月の横廠史料では譲渡されたものをそのまま複製・製造したともされており、詳細は
不明です。

以上のことから、伊6潜が敷設した機雷はこの独商船から譲渡されたもの、あるいは横廠機雷実験部で
試作中のものの一部ではないかと考えられます。

取り敢えずこの辺でいかがでしょうか?

 

帝国海軍潜水艦の機雷潜以外の機雷搭載について

 投稿者:下っ端社員  投稿日:2016年 7月 8日(金)11時16分52秒
返信・引用
  大変失礼いたしました。
「名無し」で投稿した者です。
動機ですが、私は研究者でもなんでもありません。
元々、日本軍潜水艦が発射管からの敷設能力を持たない
と巷でしばしば言われている中、wikipediaにて伊6が
敷設を行ったとありまた別サイト(urlは失念しました)
にて海大型の機雷搭載についてもあった為、どの様に
敷設するのか気になった次第です。
まさか甲板に露天搭載するのでしょうか?
URLはアジ歴の伊6の戦闘詳報です。

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C08030135500?IS_KIND=MetaSummary&IS_TAG_S32=&IS_STYLE=default&IS_KEY_S1=%E4%BC%8A%E5%8F%B7%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6&IS_TAG_S1=InfoD&IS_LGC_S32=&

 

Re: 質問の背景

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月 6日(水)21時50分47秒
返信・引用
  軍事史研究者さん、ようこそ。

>戦時日誌にあったと記憶、その場所が判かればと思いまして…

37年12月28日呉帰投時は「B3浮標」とされていますね。

当時のブイの位置や数などについては、一度海上保安庁の水路部にお尋ねになってみては
いかがでしょうか?

ここには旧海軍時代からの古い海図が多数保管されておりますので、その中に当時の呉軍港の
海図があるかもしれません。 もしあればこれにブイの位置が記されているはずです。

旧軍港で海自が使用している横須賀、呉、佐世保などは現在でもブイは残っていますが、岸壁が
整備されましたので、今では大分数が減ってきました。

興味がおありでしたら現在の海図をご覧いただければよいですし、またグーグル・アースでも
拡大すればなんとか判ります。

ただ、明治期、戦前期、そして戦後期と同じ位置、数ではありません。 艦艇の数や大きさ、
それに海岸線の埋め立てなどがあってかなり変遷があります。

旧海軍時代には海軍艦艇の繋留用の岸壁はほとんど整備されておらず、基本的にブイ繋留又は
錨泊で保全上はこれの方が都合が良かったことが大きいのですが、繋留岸壁といえばほとんどが
工廠の修理用でした。

>鎮海湾内(日本海海戦出撃前)の三笠は「ブイ繋留」だったのでしょうか?

戦時日誌記載の通り錨泊ですね。

 

質問の背景

 投稿者:軍事史研究者  投稿日:2016年 7月 6日(水)15時00分55秒
返信・引用
  大変失礼しました。
日清、日露戦役(海軍)の軍事史を研究しているものです。
三笠が旅順封鎖を解き、明治38年1月に呉港に帰投。
確か、第○浮標に繋留と戦時日誌にあったと記憶、その場所
が判かればと思いまして…

呉訪問の折、海事博物館(大和ミュージアム)の職員に浮標
位置を尋ねましたが不明。というより現在使用していない云々

そうした中、貴ブログで「ブイ繋留」の文字を拝見した次第
です。当方、江田島湾内のブイ等、どうでも良い話です。

海軍関係知識が全くないので、佐世保、呉、横須賀では三笠ク
ラスの戦艦は接岸しているものと思っていました。しかし、当
時は岸壁に余裕なし、接岸は艤装中のみ、通常は湾内(洋上)
停泊であった事が漸く判りました。

また鎮海湾内(日本海海戦出撃前)の三笠は「ブイ繋留」だっ
たのでしょうか?

当方、「通りすがりの者」ではありません。
 

書込上のお願い

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月 6日(水)12時01分34秒
返信・引用
  管理人の桜と錨です。

最近ちょくちょく投稿者名がないままで質問だけを羅列する書込がみられます。

本名とは言いませんので、せめてハンドルネームくらいは名乗って下さい。
(私の最も嫌いなのは「名無し」さんや「通りすがり」さんです。)

そしてできれば質問の背景やなぜそれに興味をもたれたかなど、談話室らしくなるように
していただけると嬉しいですね。

ネットでの基本的なマナーと考えますし、某巨大掲示板のQ&Aや2chのようなところ
ではありませんので。

これらの書込はそれまで非表示とさせていただいております。 皆さんのご協力をお願い
いたします。


 

Re: 訂正です。

 投稿者:  投稿日:2016年 7月 5日(火)08時19分58秒
返信・引用
  > No.4440[元記事へ]

桜と錨さんへのお返事です。

> ブログの方で写真を・・・

 こんにちは。
どうぞ、ご自由にお使い下さい。

当日は、おにぎりを作ってもらってのトンボ観察だったのですが、肝心のトンボには
お目にかかれず、かわって大空をゆくP3C?を見たことからの・・・(◎_◎;)でした。

画像は希少種といわれるベニイトトンボです。

前から興味があったわけではなく、たまたま散歩中に発見し、ネット検索したら「近年
になって外部から江田島に移入されたものだろう?」と書かれていました。

その後何人かの年配者にお話を聞くと、「子供のころには見たように思うのだが、
はっきりと断言はできんなぁ~っ」て、お話ばかりです。

移入か自生かはともかく、分布資料が必要なことがあればって、今現在の発生地を
視認調査中です。

暑いばかりで、肝心の運動不足解消には程遠い作業ですが・・・(*^。^*)です。
 

Re: 訂正です。

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月 4日(月)20時33分34秒
返信・引用
  脇さん、ブログの方で写真をお借りしました m(_ _)m

 

今週の更新

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月 3日(日)21時43分55秒
返信・引用
  管理人の桜と錨です。

今週の更新として、新たに『海軍須知』コーナーを設けました。

旧海軍についての基礎的・基本的な事項について順次解説していく予定です。 当面は特に一般に
誤って流布されていること、誤解されていることなどを中心にして、過去ブログの方で記事にした
ものを纏め直して掲載するつもりです。

その第1回目が「戦闘旗」と「海軍における挙手の敬礼」です。

前者は平成20年、後者は平成22年にブログで解説したものですが、それ以降これらについては
ネット上でもウィキなどを始めとしてかなり直ってきておりますので喜ばしい限りです。

 

Re: 訂正です。

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月 3日(日)12時54分6秒
返信・引用 編集済
  脇さん、こん**は。

ブイ繋留だったのか錨泊だったのかわかりませんが・・・・

もし錨泊で揚錨時に引っかけたのだとしたら、どの様なものなのか確認しなければなおさら
危険で、プロペラに絡まる虞があります。 それに仮に漁具の一部とすると“窃盗罪”(^_^;

いずれにせよ、格好良く編隊出港するところを見せたいがためと言っても、この様な状態の
ままで出港するのは“潮気がない”と評されてもしかたないですね。

掌帆長、前部指揮官(砲雷長)、艦長、そして司令は一体何をしてたのでしょう?

昔から運用作業の要訣として「安全」「確実」そしてその後に「迅速」「静粛」を耳にタコが
できるくらい聞かされ、また口を酸っぱくして教えてきました。

多少出港時刻を遅らせたとしても安全が最優先ですし、それが船乗りの“スマートさ”ですし、
こんな姿で津久茂の瀬戸を通るなど“みっともない”以外の何ものでもありませんね。

 

訂正です。

 投稿者:  投稿日:2016年 7月 2日(土)08時04分20秒
返信・引用
  やっぱ、ブイへの係留索かなぁ~ ・・・(^_^;)です。  

Re: え、えっ。

 投稿者:  投稿日:2016年 7月 2日(土)08時00分17秒
返信・引用
  > No.4435[元記事へ]

桜と錨さんへのお返事です。

> 珍しいものの・・・

 こんにちは。
トンボ観察の帰りP3C?が低く飛ぶので、もしやって、対岸を見たら白い制服が。

で、折角だからと待っていると、な~~~んと。

錨を揚げたときに気づいてはいるようですが、式典の時間を延ばすことも、
海中投棄もできないので、きっとそのまま沖までもっていき、人目のない
ところで甲板に引き上げたんだろうと思います。

でも、たこつぼ用のロープ?にしては太すぎるし、潜水訓練用の誘導ロープ??
2次大戦の遺物???・・・

いずれにしても「やまゆき」にとっては、最悪な拾い物・・・(^_^;)でした。

 

Re: え、えっ。

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 7月 1日(金)20時33分33秒
返信・引用
  脇さん、こん++は。

珍しいものの(^_^)ご紹介をありがとうございます。

ちょっと恥ずかしい写真ですね。 でもこれ何のロープなんでしょうね。
もしかしてブイ繋留の解纜時の控え索?

プロペラに巻き込まなければいいのですが・・・・

 

え、えっ。

 投稿者:  投稿日:2016年 7月 1日(金)16時16分37秒
返信・引用
   う、うそでしょう。
ろ、ロープが・・・(◎_◎;)です。
(3時間前の画像ですが、差しさわりがあるようでしたら、表示しないでください・・・(*^_^*)です。)
 

Re: 無精者には・・・

 投稿者:  投稿日:2016年 7月 1日(金)07時56分27秒
返信・引用
  > No.4432[元記事へ]

桜と錨さんへのお返事です。

> 懐かしい思い出・・・

 こんにちは。
良い話ですね。
奥様の機転に大拍手・・・(*^。^*)です。

庭に果樹類を植えるのを嫌う人もありますが、ウチトコの庭は果樹畑?です。

柑橘類だと、レモン、カボス、早生ミカン、葉ミカン、キンカン、その他順不同で
ヤマモモ、カキ、ウメ5種、ジュンベリー、シャシャンボ、ウグイスカグラ、
イチジク、ザクロ、シュガープルン、リンゴ、サルナシ、サンショウ、ニワウメ、
ユスラウメ、ヤマボウシ、アケビ、ミツバアケビ、ムベ、アキグミ、ダイオウグミ、
くらい?かなぁ~って、大半は鳥に食べられますが、チョイ自慢・・・(^_^;)です。

 

Re: 無精者には・・・

 投稿者:桜と錨  投稿日:2016年 6月30日(木)22時37分28秒
返信・引用
  脇さん

我が家のカボスの樹も昔父がどこからか貰ってきたものの種を庭にポイッとしたものが
大きくなったものでした。

それでも10年間は花も実も全くつかなかったのですが、父が他界する前年、突然花が
初めて咲きまして、しかもその年は大豊作となりました。

既にパーキンソンが進んでベットから動けなくなったのはもちろん、口から食べることも
喋ることも出来なくなっていましたが、家内が看護婦さんにことわって鼻の前でジュッと
絞ってみせたら、香りが判ったのか大変嬉しそうな顔をしたそうです。
(当時私は単身赴任中でしたので後から聞きました。)

それからは毎年沢山の実がつきまして、色々なことに使って楽しませて貰いました。

今はもうその樹はありませんので、懐かしい思い出の一つです。

 

Re: 無精者には・・・

 投稿者:  投稿日:2016年 6月30日(木)08時09分12秒
返信・引用
  > No.4430[元記事へ]

桜と錨さんへのお返事です。

> 我が家は今年からカボスの樹はありません。

 こんにちは。
種から育てる方法もありますが、お勧めはできません。

20年前に種を播いたイヨカン、今年花が咲いたので楽しみにしていたのですが、
すべての実が落下してしまいました。

でも、散歩の途中で摘み取った枯れたウツボグサの花穂を、手で振り回しながら
庭を一周しましたら、翌年雑草のごとくにあちこちで芽を出しました。

このままだと、庭が草原状態となるので今年は花が終わるとすぐに
刈り取りました・・・(*^。^*)です。

 

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