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御車山HPできました

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 4月25日(水)08時44分13秒
  ここの管理人、作井はしばらく別のHP立ち上げに没頭していました。で、できました。---
高岡御車山をご紹介するHPが出来ました。---出来立てのほやほや、まだまたの代物です。
http://www.senmaike.net/mikurumayama/
をご覧ください。
 
 

お囃子

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 4月12日(木)11時34分12秒
  山町出身の方、書込みありがとうございます。もうちょっとしたら筍もうまーなるし、まっつりのごっつぉは高岡が一番やちゃ。今年もぜひとも帰ってこられよ~。
さてさて数年前の夏『土蔵づくりフェスタ』の催し物で中央から博雅会という雅楽グループを招き雅楽の会をやったことがあります。私が担当者だったこともあり前打合せの段階から演目の中に「迦陵びん」を入れまして鑑賞したことがあります。私的な感想ですが『何ジーこりゃー』でした。まさに衝撃を感じました。御車山の印刷物には確かに載ってはいるものの、この似ても似つかない「迦陵びん」。・・・で、なんで???ながやけど、そのあたりをひとくさり・・・・。やっぱ、山が前田から高岡町民に下された折に共に下された楽曲は「迦陵びん」だったのだろうと推測されます。今でも楽師たちは『譜面』と云うものを持ちません、ずーっと習い覚えの伝承できたのです。それが長年伝承されてゆくうちに、変化していったのだろうと思います。私も小馬出町の一員としてテンポのことで指摘していることがあるのですが、ここ40年ほどの間に早くなってきているのです。楽師たちの体内時計が早く刻むようになって来ているせいでしようか。それはともかく、たとえば京都の祇園山鉾のお囃子や近隣の在所の祭囃子に影響され、変化していったのだろうと思います。私のところには当町の山の「迦陵びん」音データと先の雅楽の連中の映像データがありますので機会があったら聞き比べてみてください。
それから、お尋ねの「六三郎」については、御馬出町のものから回答させます。またの投稿お待ちしています。
 

囃子について教えて

 投稿者:山町出身  投稿日:2007年 4月11日(水)20時27分11秒
  山町出身(今は県外在住)の者です。最近、御車山祭のお囃子CDを入手し、はじめて全町の囃子をきちんと聴きました。その結果、御馬出町と一番街通の囃子の後半に出てくる「道中囃子」と小馬出町の囃子がよく似ているのに気づきました。小馬出町の囃子は「迦陵びん」という雅楽の曲名のはずですが、道中囃子が迦陵びんに基づいているのでしょうか。また、道中囃子の作者(?)「六三郎」がどんな人物かも教えてください。御車山祭のことなら大抵のことは知っているつもりだったのに、わからないことが多い。山祭は奥が深い。今年も帰ろかな。  

地震お見舞い申し上げます

 投稿者:札幌から40代  投稿日:2007年 4月 1日(日)08時30分56秒
  祖母は高岡高等女学校卒、父も高岡生まれの、A.Sです。このたびの能登半島地震、お見舞い申し上げます。震度のわりに被害が少なかったようで、不幸中の幸いといってよいのでしょうか。そちらはもともと地震の少ない地域ですから、慣れないことに驚愕された方も多かったのではないでしょうか。 高岡御車山祭には一度は行ってみたいと考えております。
ご先祖さま、そして今も遠縁ではありますが本家にあたる親戚が関わりをお持ちのようで、関心を持ち、陰ながら応援いたしております。
 

大阪からのメールありがとう

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 3月29日(木)09時10分23秒
  久々の書込みありがとうございました。おかげさまで今年のひなまつりは過去最高の人出で賑わいました。ここをお借りして、ご来場のすべての方に御礼申しあげます。管理人も2日間、資料館でのひなまつり茶席を手伝いました。あまりにも多くのご来場にしばしば茶席もパンク状態となり多くの方々にご迷惑おかけしました。--これまた陳謝--。お茶のお運びも多くなり、屈伸運動の連続で大腿四頭筋が悲鳴を上げ、腰痛が始まりこの状態が1週間続きました。
さて、いつもの平静を取り戻した山町筋、3/25の地震には久々の大揺れに驚きましたが、さしたる被害はありませんでした。守山町のスーパーではスイカが転がり1個破損、醤油の小瓶が棚から落ちて破損、・・・とまあこの程度の被害でした。
古城公園の桜は開花近しから早いものは三分咲きといったところでしょうか、蕾が膨らんできていますので、木の枝枝が重なり連なっているところでは、薄くピンクを引いたような‘色’を感じるようになって来ました。
 

山町筋のひなまつり

 投稿者:大阪から来た娘  投稿日:2007年 3月26日(月)22時51分49秒
  旧暦で行われた山町筋のひなまつりに初めて行って来ました。
飾られたお雛様はどれもみな丹念な手仕事で作られ、職人さんの技術の素晴らしさ、物作りへの意気込みに感動しました。また、保存の良さにも驚きました。時折雪が舞う寒い日でしたが、母と連れ立って山町の町並みを歩きながら、昔親戚にあった御殿付きの七段飾りにまつわる思い出話がはずみました。帰省するたびに高岡のまちが寂しくなっていくような気がします。このような催しで少しでも街に元気を取り戻せたらよいですね。微力ながら応援しています。
 

1月下旬の天気?

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 1月29日(月)15時57分31秒
  本日平成19年1月29日(月)、例年の事なら結構雪深い頃のはずが、まったく雪の気配なし。古城公園の梅園の梅たちもずいぶんと蕾が膨らんできています。たぶんそのうち一度はどかんと来るのでしょうが、申し訳ないくらい、ほんのーり今日も良い天気。
 今年の『山町筋のひなまつり』は〝いっぺん、旧暦でやってみんまいけー〟って事で、3月の17日(土)・18日(日)の開催です。それこそお天気しだいですが、来場者数はここ最近ドンドコ増えてってまして、主催者側としてはホントありがたいことです。今年も良い祭りにしますのでどうぞご期待ください。
 

天神様祭

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 1月 4日(木)10時22分24秒
  ちょっとだけHPを手直ししました。
平成19年1月13日・14日の土日、山町筋では『山町筋の天神様祭』を開催します。---詳しくはHP内イベント案内をご覧ください。で、ちょっとだけ天神様祭りをやるようになった由来のうんちくをひとくさり・・・・
 江戸時代中期・後期とここ高岡は特出した商工業で栄えていた地方都市でした。城下町としてスタートした近世高岡は一国一城令で廃城、多くの武家は金沢へ帰ってしまうことになりますが、残された町人ががんばり、当時としては一流の田舎都市となりました。一人前の町人-商工人となるために、しつけ・教育が重んじられ『読み書きそろばん』を教わる寺子屋が大いに繁盛しました。商人町の山町筋近辺にも多くの寺子屋があったようです。
加賀藩主前田利長が『われは菅原道真の子孫なり』と発したこともありますが、寺子屋では、学問での最大のサクセスストーリーの主人公道真を勉学に勤しむ事の象徴として祀り、崇めていました。以来高岡の家々では正月に天神様を飾ることが一般的となり、この風習は広く富山県下へも流布してゆきました。いろいろと他の理由もありますが、寺子屋文化がこの習慣の源となったことは確かです。
 このようにして高岡町民の学習意欲が天神様信仰へとつながっていった訳で、だとすれば、ここ山町筋でやる『天神様祭』も意義深いことと思っている次第。山町筋の土蔵造りの家、商店のウィンドウーに古いのや新しいのやがいっぱい飾られます。ぞうぞ見に来られませヨ。
 

恥だ!

 投稿者:  投稿日:2006年10月21日(土)12時53分31秒
  <「高岡町衆」とかのユニホームを着た人が大福院通りを尋ねられて「知らん」と答えていたのに驚いた>

町衆の風下にも置けない輩がいるんですね。恥かしい。スキーが滑れないのに派手なスキーウエアを着てるより100倍も恥だ。少なくとも誇りを持って着れるようにトレーニングが必要ですね。
 

山町筋の発展願う

 投稿者:山祭りファン  投稿日:2006年10月13日(金)22時14分27秒
  ホームページ、懐かしくときどきのぞいています。二番町生まれ、御馬出町育ちです。守山町ー木舟町ー小馬出町を通って平米小学校に通っていました。管理人より1才上、どこかで遭遇しているのでしょうね。私たちのころは山車の上からこぼれおちそうになるくらい子どもが乗っていたが、近年はがらがらで、さみしいかぎり。今年は5月1日に帰れず、3日に帰り、駅前で獅子舞大会を見た。「高岡町衆」とかのユニホームを着た人が大福院通りを尋ねられて「知らん」と答えていたのに驚いた。開町400年に向け、山町筋をはじめ旧市街地の活性化を願います。  

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