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憲法改正の最重要問題は天皇である
ポツダム宣言を受諾して、降伏をしたのは鈴木貫太郎内閣である。昭和天皇の玉音放送が8月15日正午に行われた。その後総辞職して昭和20年8月17日東久邇宮内閣が発足したのであるが、発足時の外務大臣重光葵氏を辞職させ、吉田茂氏を外務大臣に推挽したのが近衛文麿公(内閣顧問無任所相)であった。近衛公に強く推薦したのが、吉田氏と共に近衛公の天皇への上奏文事件で五十日間のムショ暮らしをした仲間である、政治評論家の岩渕辰雄氏である。
近衛公の上奏文事件とは、岩渕氏が作成し近衛公が手を入れたものを、吉田氏が岳父である牧野紳顕伯に見せるからと、自分の手で写し、大磯の私邸に持って帰り書斎の机に入れておいて、住み込んでいた書生(憲兵が身分を隠して書生として入り込んでいたスパイ)に持ち出され、東條英機元総理大臣の子分の憲兵隊長の手に入り、岩渕辰雄氏、吉田茂氏、植田殖吉氏の三名が憲兵に逮捕された事件である。
東條氏は岸信介氏が辞表を提出しないため旧憲法では、総理大臣に閣僚の罷免権はないので総辞職をして再度の大命降下を期待したが、大命降下がないため総理を辞めざるを得なくなった。東條氏は、この難局は自分以外に切り抜ける事は出来ない、まだ天皇の信任はあるものと自惚れていて、再登板を考えていたので怒り心頭に来て、近衛公まで逮捕しようと思って憲兵に命じて三人を逮捕したのである。
話を戻して、吉田茂氏を外務大臣にしたのは、敗戦後最重要課題となる憲法改正の極めて困難な占領軍との交渉を吉田氏に期待したのであった。しかし吉田氏は全くこれに答えようとしなかった。
岩渕辰雄氏らが高野岩三郎博士らと共に作成した草案は放置されたままで、日本国は松本蒸治博士を中心に作成した内容の乏しい案を米国に提出し、占領軍を失望させ、速成乱造した英文の草案を押し付けられてしまったのである。
東久邇内閣の後、吉田氏は外相として、幣原内閣で留任し、昭和21年5月に幣原内閣が総辞職して吉田内閣に代わってからも、外相を兼務した。
今日、憲法を改正する際に最大の問題は、前文とか第九条ではなく、天皇をどう扱うかということである。日本国の国体をどの様にするかと言う大命題である。このことを忘れてはならない。
政治家も一般国民も、もう一度日本国の歴史を顧み、世界の情勢を洞察し、これからの日本国は何をすべきか、何処へ行くべきか、どの様な国体になるべきか冷静に考える秋である。
山 路 信 義
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