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大河津分水を行く飯田夫妻

 投稿者:2反田  投稿日:2008年 9月17日(水)03時15分23秒
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  ところで単行本『女の夢』には「山の中の小學校へ」という短篇が収録されています。このなかの一節に、
《自然の恩恵の乏しい東京に生れ、埃と塵の中の學校にばかり通つた私》
《震災前東京で、日曜の午後、教曾からの歸途に電車を利用して、日比谷公園、戸山が原、植物園等に出懸け》
とあることから、飯田が東京の出身であること、また関東大震災を機に東京を離れたことが分かります。
そして現住居が田圃の一軒家であることを述べた個所では、
《彌彦、國上の双峯は、緑の森の裳裾を末廣に曳いて》
と家からの眺めを記しているおり、そこが新潟県寺泊の近郊であることも分かります。そこは妻・秀子の出身地でした。

「山の中の小學校へ」は、飯田政良・秀子夫妻が、春の日の桜の頃、信濃川から国上(くがみ)まで散策した際の感想文です。
この夫妻の行程が、巧まずして、開通直後の大河津分水の貴重なドキュメントとなっているのです。このような風景は、飯田の他には誰も記録していないのではないでしょうか。

《恰度、寺泊の海から、魚を仕入れて来た魚屋、襯衣(シャツ)一枚に股引腹掛で、威勢の好い若者五六人が、前後左右から一臺の荷車を、ヤアヤアと懸聲勇しく押して来て、私共を橋の上で追抜きました。
 「こんな所へ来ても魚屋は矢張り威勢が好イナ。」
 「地蔵堂へ行く魚屋ですネ。ホラ、右へ曲りましたよ。」
 橋を越して上流の方へ、河に沿ふて走去る彼等の姿が少時見えてゐました。橋の上の片側には軌道(レール)が在ります。一臺のトロが山程軌道を積んで過ぎた後へ、また軌道を積んだトロが来ましたが、後のトロは自分の通つて来た軌道を外して、トロの上へ積んではまた進みます。彼等の過ぎた後にはもう軌道は残つてゐません。河幅三百間、延長二里に余る運河開鑿の大工事が、五萬の男女工夫を勞役せしめて、二十年に近い星霜を経て、この頃漸く落成を告げ、残務工事も終ろうとしてゐるのです。軌道の取除された所で見ると、この橋の上にトロを押すのも、是れが最後の日かも知れませぬ。来る道の片側にも、春草青く茂る道の片蔭に、風雨幾年の錆赤き軌條は、山と積まれてありました。》

《山を後方に背負って、工夫達の為に店を開いた休憩茶屋が、軒並を揃へて一つの町を形造る程ザラに有ります。奥まつた農家造の薄暗い店に、ラムネ、サイダ、正宗、麺包菓子、煙草、[魚+易](スルメ)、缶詰、天、水菓子、草鞋、ゴム底足袋など並べられ、縁臺代りの粗末な踏臺も出てゐましたが、何の店も客が無くて、ひつそり閑としてゐます。「地蔵堂町、小川時計店、出張所」 恁う云つた風の、時計修繕の廣告を、八角時計の看板に付けた休憩茶屋をこの村の所々に見かけるのも、工事の盛であつた日の賑ひと混雑を語つてゐます。》

このような着眼点のよさと、丁寧な描写が飯田の本領なのでしょうか。写生文の素養があるように感じられます。
《「菫ほど小さき人に生れたし・・・・先生の句にあつたつけネ。」》
などと野の花を前に口ずさむのも、飯田の経歴を知る者にはうれしく思います。

この後、夫妻は国上村へ入り、山間の小学校を目指します。その動機は、自然の中に理想郷を見たいとの漠然とした願いからでした(これに対比して震災後のバラックの東京を想起します)。
古風な小学校を案内され、生徒たちの遠足に同行して国上山に登り、子供達に親しまれる夫妻の姿は平和です。

先に「自序」で悲痛な決意を見、その署名地が《紀尾井町の仮寓》であることを見ました。
はたして飯田は、田園の生活を捨てて、再び東京に舞い戻ったのでしょうか。それとも新潟にあって筆を握り続けたのでしょうか。
文壇にも属さず、”埋もれた名作”も残さず、ただ、おそらくは極めて篤実な人物であったろう、飯田政良の消息は、今のところ不明です。

―――――――――――――――

補遺
・漱石全集の註にもある飯田の短篇小説『町の湯』の掲載された『新小説』は明治42年10月号ですが、アンドレエエフ「深淵」(昇曙夢訳)の掲載を理由として発売禁止処分に遭っています(典拠:斎藤昌三『現代筆禍文献大年表』)。ここでも飯田の巡り合わせの悪さを感じさせられます。

・紅野謙介「漱石,代作を斡旋する――徳田秋声・飯田青涼合作『女の夢』とオリジナリティの神話――」『文学 1巻2号』(岩波書店 2000)という文章がある旨をネットで見つけました。当然目を通すべきでしたが、これも未読です。多分、似たような内容で書き込みをしてしまったのではないかと思いますが......。
 

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