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2反田さん、いつもながら基礎的かつ貴重な情報、有り難うございます。
おっしゃられる通り、『文章倶楽部』の名鑑は「簡略ながら各作家の初期の自伝として注意を惹きます」ね。
《長町高等小學二年を修めたる他、學歴殆なし。》《二十二歳の時上京、爾來十年寂しき彷徨の生活をなせり。》
いかにも犀星らしい語調のこの小伝は、全集に収録されているのでしょうか。
余談ですが、先日雨宝院を訪れた際の現在の住職高山師の話によると、“犀星さんの学歴に対するコンプレックスは強く、学歴を尋ねられた時は、「高等2年の卒業です。」と答えていた”ようで、(萩原朔太郎が通った)早稲田高等予備学校を暗にほのめかし?、当時早稲田はどんなところでしたかと尋ねられると、「田圃の真中ですよ」と地名からの類推でいい加減なことを言っていたよし。(後半の話は、確かに犀星自らそんな話をどこかに書いていましたね。)
それにしても「1日生れの者が22名中6名」とは、統計学的も?すごいですね。
これも余談ですが、雨宝院に展示してある資料のなかに、昭和3年帰郷時の金沢市「山田屋小路」――このときの借家の具体的場所を探しあぐねているのですが――から発信された「福田正夫」宛ての書簡があり、文面からこの家が2階建てだったことだけ判明しました。
(急いで書き写してきたメモ、紛失!してしまい、残念ながら引用できませんが)
http://www3.diary.ne.jp/user/325457/
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