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《三島霜川》略歴巡り(3)

 投稿者:かぐら川  投稿日:2014年 2月 8日(土)19時49分2秒
  ミシマソーセン 三島霜川 みしまさうせん(一八七六~一九三四)

明治大正の小説家、劇評家。明治九年四月富山県西砺波郡麻生村に生る。本名才二。別号犀児、歌之助、椋右衛門等。早くより文学を志して上京し、一時は尾崎紅葉の門を叩いたことがあり、文壇的には硯友社の系統に属し、徳田秋聲と最も親交があった。明治三十一年八月「埋れ井戸」を『新小説』に発表以来、『人民新聞』『世界之日本』『中外商業』『文芸倶楽部』『小天地』『新小説』に作品を発表し、田園趣味の作風を以てその特色を次第に認められ、同三十六年には名作「山霊」を『文芸界』に載せ、翌三十七年には当時文壇の新声と謳はれた短篇集『スケッチ』を上梓した。その後『中央公論』『新潮』等に「解剖室」「新生命」「悪血」「栗の花」等の異色ある作を出して世評を喚起し、作品数長短百余篇に達したが、その最高潮期は、自然主義文学の勃興時代までであったと見られる。のち漸次創作に遠ざ〔か〕り、同四十年『演芸画報』創刊の頃から関係し、犀児、歌之助、椋右衛門等の名の下に、「芝居見たまま」「役者の批評」劇評等の類を寄せ、見たままの「堀川」「勧進帳」「四谷怪談」役者批評の「東西役者の噂」「花形俳優月旦」「役者の顔」「近世名優伝」など、立派な読物として評判を得たが、中にも大正初めから数年に亙って連載した「大正役者芸風記」は、この類の批評中、稀に見る出色の字として賞讃を博した。その後同誌の編輯事務を司つて劇文壇のために力を致し、その間に日活や松竹のシナリオを書いたり、石井漠一座の歌劇の興行に関係するなど、この時代が世間的に最も活動した時であった。震災後は暫く画報と離れ、『院本正本日本戯曲名作大系』などの編著に従事したが、昭和二年頃から再び演芸画報に縁が結ばれ、爾後歿前まで編輯の一部を担当した。昭和九年二月号の「歌舞伎狂言と俳優との相関性」は異彩ある文字であったが、これを絶筆として同年三月七日に歿した。年五十九。彼は劇文壇特異の存在として、独自な芝居の見方に立派な足跡を止めたが、脚本にも野心があったらしく、「鰤」「船出の前」等の作がある。(秋葉)

 出典:『新撰大人名辞典 第六巻』
  ・発行  昭和十三年十月 (1938.10)
  ・発行所 平凡社
  ・執筆者 秋葉芳美
  ・
   なお、上記は『新撰大人名辞典』の復刻版である昭和54年7月の『日本人名大事典』の
  同項によった。

http://kaguragawa.exblog.jp/

 
 

《三島霜川》略歴巡り(2)

 投稿者:かぐら川  投稿日:2014年 2月 8日(土)19時46分46秒
   三島霜川略歴

 明治九年四月、富山県砺波郡の郷里に於て、医師三島重法の長男として生る。才二と命名。
 幼少の頃、父に随従して東京に出たることあり。長ずるに及んで、文学を好む傾向強く、為に医学を修めしめんとする父との間に屡々抗争を醸せり。父三十七歳して逝去するに遇ひ、霜川は志を立てて一家を纏めて上京し、いよいよ文学に精進せり。それは十八歳の頃なり。
 明治三十一年「新小説」に「埋れ井戸」を発表す。これ恐らく処女作ならん。「人民新聞」に「除夜」を、「世界之日本」に「ひとつ岩」をひきつづき発表し、大いに認められる。その後尾崎紅葉の門を敲き、泉鏡花、徳田秋聲等と知り、後、小杉天外に親炙せしことあり。「民声新聞」に入りて竹越三叉、国木田独歩等と相知る。これは僅かにして退けり。
 創作活動は追々に盛んとなり専ら「世界之日本」「小天地」「文芸倶楽部」「新小説」「反面」「小柴舟」「文芸界」「新声」「婦人界」「文庫」「文章世界」「趣味」「中央公論」等に続々発表せり。「山霊」「聖書婦人」「悪血」「沈鐘」「解剖室」「虚無」「平民の娘」「蒼い顔」短篇編「スケッチ」等は代表作といふて可ならん。
 明治四十年の頃、旧知仲田辰之助創刊せる「演芸画報」に寄稿し始めたるが機縁となり、同誌との関係は晩年まで継続し、大正二年より十二年までは、入って編集を主宰し「芝居見たまま」の創始、自ら執筆せる「大正役者芸風記」その他演劇に関する多くの優れたる業績をのこせり。
 震災後、「南蛮文選」「柳橋新誌」等多くの文献の校訂に従ひ出版し、傍ら「少年日本外史」等少年の歴史譚、物語等を創作し出版し大いに世にひろまれり。
 明治四十二年広島県人松本ちか子と結婚し、一男三女を挙げ、悉く健在にして、三女は出でて姻戚をつげり。
 昭和九年三月七日腎臓癌にて中野の自邸に逝く。行年五十九才。法名は清心院高才霜川居士。墓碑は多摩墓地に建立し、碑面には辞世の句たる「暮れ初めて鐘鳴り渡る臨終かな」を刻せり。

 出典:『役者芸風記』
  ・発行 昭和十年三月 (1935.03.)
  ・発行所 中央公論社
  ・巻頭に、「序」に先だって掲せられたもの(執筆者名なし)
    *おそらく水守亀之助によるものであろう。

http://kaguragawa.exblog.jp/

 

《三島霜川》略歴巡り(1)

 投稿者:かぐら川  投稿日:2014年 2月 8日(土)19時45分24秒
  三島霜川 みしまさうせん

小説家 【本名】才二 【生歿】明治九年四月生れ、昭和九年三月歿す。享年五十九 【閲歴】富山県西砺波郡麻生村に生れた。文壇的には硯友社系統に属し、徳田秋聲等と親しい交友関係にあり、既に明治三十一年の「埋れ井戸」以来、「新小説」「文芸倶楽部」等に作品を発表し、田園趣味豊かな作風を以って次第にその特色を認められるに至った。長短百余篇の作品があり、「中央公論」「新潮」等に「解剖室」「しっかり者」「栗の花」を出すに及んで、堅実なる中堅作家として推されたが、その活動は主として自然主義文学勃興時代迄であった。後、創作に遠ざかり、「演芸画報」の発刊されるや、早くより関係して、犀児・椋右衛門等の名の下に逐号劇評随感の類を寄せた。中にも大正初頭、数年に亙って連載した「大正役者芸風記」の如き、この種の批評中出色の文字である。後、同誌の首脳となって劇文壇のために力を致した功績は少なくない。その他歌舞伎脚本の編著にも従った。〔水木〕

 出典:『日本文学大辞典 第三巻』
  ・編纂者 藤村作
  ・発行  昭和九年六月 (1934.06)
  ・発行所 新潮社
  ・執筆者 水木京太

  なお、昭和二十六年八月の『増補改定日本文学大辞典 第七巻』の同項は
  まったく同じ内容である。

http://kaguragawa.exblog.jp/

 

すっかり忘れてい・・・

 投稿者:かぐら  投稿日:2013年12月14日(土)20時05分1秒
  なんとこんな掲示板がいまだに存在していたのですね。自分でもすっかり忘れていました。

http://kaguragawa.exblog.jp/

 

「戦時特別品」

 投稿者:かぐら川  投稿日:2011年 6月11日(土)22時47分14秒
  どのような問題関心からのご質問なのでしょう。
共益商社についてはいろんなことについて知りたいと思っていますが、「戦時特別品」については私にはわかりません。
一般的に言って、こうした用語法はアジア太平洋戦争時のものだとは思いますが・・・。
わかられたら、ぜひ、またここに書き込みいただければと思います。よろしくお願いいたします。

http://kaguragawa.exblog.jp/

 

共益商社についてお尋ね

 投稿者:koruko  投稿日:2011年 6月11日(土)09時27分7秒
  共益商社発行の五線譜の中で「戦時特別品」と印刷されているものがあります。
いつ頃のものかご存じだったら教えて下さい。やはり日中戦争後でしょうか。
1913年(大正13年)以前、例えば日露戦争の際に発行された可能性はないでしょうか。
 

三島霜川関連メモ

 投稿者:かぐら川  投稿日:2008年12月 7日(日)16時14分47秒
  [三島霜川関連メモ]の一覧です。

2004年 12月 15日 〔三島霜川・源氏鶏太・堀田善衞〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20041215
2004年 12月 16日 〔【三島霜川選集】〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20041216
2005年 01月 08日 〔【明治の文学/全25巻】〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050108
2005年 01月 22日 〔「埋れ井戸」と「たけくらべ」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050122
2005年 01月 23日 〔水上勉「三島霜川一家と私」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050123
2005年 01月 31日 〔水上勉「三島霜川一家と私」2〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050131
2005年 02月 02日 〔地名・布佐/松岡国男・独歩・霜川〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050202
2005年 03月 07日 〔霜川の命日/辞世の句/水守亀之助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050307
2005年 03月 08日 〔霜川と一葉の「法真寺」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050308
2005年 03月 10日 〔『はんけち』-不忍池湖畔の蓮見橋〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050310
2005年 03月 19日 〔霜川・秋声・鏡花/一葉〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050319
2005年 03月 21日 〔明治文学と横山源之助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050321
2005年 03月 29日 〔“君が情の仮寐の床”〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050329
2005年 04月 17日 〔三島霜川と横山源之助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050417
2005年 05月 08日 〔霜川と「済生学舎」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050508
2005年 09月 04日 〔霜川と秋声/小石川表町〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050904
2005年 09月 19日 〔霜川の故地を訪ねて(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050919
2005年 09月 25日 〔When were they born?〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050925
2005年 10月 31日 〔本郷台の空橋(からはし)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20051031
2005年 12月 05日 〔霜川と露風(1)-ふたりの出会い〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20051205
2005年 12月 06日 〔霜川と露風(2)-「露風全集」より〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20051206
2006年 01月 01日 〔【6】の年-霜川の1876・1906〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060101
2006年 01月 17日 〔foujitaさんの「日用帳」-『役者芸風記』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060117
2006年 01月 19日 〔三島霜川の明治四十一年〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060119
2006年 01月 20日 〔霜川と露風(3)-「三木露風年譜」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060120
2006年 01月 21日 〔霜川と露風(4)-木戸邸内の番小屋?〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060121
2006年 01月 23日 〔霜川と露風(5)-駒込動坂町〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060123
2006年 01月 29日 〔柴崎芳太郎-霜川と同年生まれの〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060129
2006年 03月 02日 〔霜川の動坂(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060302
2006年 03月 04日 〔霜川の動坂(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060304
2006年 03月 08日 〔霜川の動坂(3)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060308
2006年 03月 16日 〔神楽坂の霜川〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060316
2006年 03月 23日 〔藤澤清造――〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060323
2006年 03月 29日 〔『どうで死ぬ身の一踊り』――藤澤清造(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060329
2006年 04月 29日 〔秋声宅の露風〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060429
2006年 05月 01日 〔霜川・秋声・涼葉(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060501
2006年 05月 10日 〔霜川から本郷弓町〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060510
2006年 05月 23日 〔霜川・秋声・涼葉(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060523
2006年 06月 27日 〔柿木横町の薙城館(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060627
2006年 07月 31日 〔霜川・秋声・涼葉(3)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060731
2006年 08月 15日 〔『徳田秋声全集』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060815
2006年 09月 26日 〔“九月というに袷一枚で(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060926
2006年 09月 27日 〔“九月というに袷一枚で(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060927
2006年 10月 01日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061001
2006年 10月 02日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061002
2006年 10月 03日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(3)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061003
2006年 10月 04日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(4)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061004
2006年 10月 05日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(5)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061005
2006年 10月 18日 〔鱒二の霜川追悼文〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061018
2006年 10月 26日 〔再び「霜川・秋声・涼葉」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061026
2006年 10月 27日 〔霜川の同時代人〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061027
2006年 11月 03日 〔『黴』私注――書斎の窓明かりを慕うて〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061103
2006年 11月 04日 〔鱒二の霜川追悼文(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061104
2006年 12月 13日 〔『黴』私注――戦争小説などに筆を染め(2-2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061213
2006年 12月 17日 〔高峰という蘭方医(秋声の周辺)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061217
2007年 01月 01日 〔《光含》〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070101
2007年 01月 05日 〔《1907年》〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070105
2007年 04月 18日 〔独歩と源之助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070418
2007年 04月 21日 〔三島霜川年譜〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070421
2007年 04月 23日 〔霜川年譜雑メモ(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070423
2007年 04月 28日 〔本郷弓町メモ〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070428
2007年 05月 04日 〔中也の父・謙助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070504
2007年 05月 17日 〔些細な諸事実を「書くこと」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070517
2007年 11月 22日 〔霜川の「解剖室」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20071122
2007年 12月 29日 〔掲示板タイトル変更〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20071229
2008年 01月 20日 〔霜川の民声新報時代:メモ1〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080120
2008年 01月 21日 〔霜川の民声新報時代:メモ2〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080121
2008年 01月 22日 〔霜川の民声新報時代:メモ3〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080122
2008年 01月 23日 〔霜川の民声新報時代:メモ4〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080123
2008年 01月 29日 〔ふたりの石川人、きょう死す〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080129
2008年 02月 17日 〔『わが祖父 川島忠之助の生涯』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080217
2008年 04月 09日 〔霜川、醒雪。啄木、秋声〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080409
2008年 04月 21日 〔『徳田秋聲の文學』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080421
2008年 05月 27日 〔二人の父親像〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080527
2008年 08月 25日 〔「漱石書簡」の三島霜川〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080825
2008年 08月 26日 〔霜川と漱石をめぐる余談〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080826
2008年 09月 10日 〔悠々忌〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080910
2008年 09月 18日 〔飯田青涼の『女の夢』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080918
2008年 11月 01日 〔北陸線、高岡まで延伸(1898.11.1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20081101

http://www3.diary.ne.jp/user/325457/

 

「大河津分水」

 投稿者:かぐら川  投稿日:2008年10月15日(水)00時54分2秒
  2反田さまへ

 代筆問題もさることながら「大河津分水」の文字を見て以来呪縛にかかったようになって、なかなかコメントを書けないままになっています。この信濃川の平野を思い出すにつけ良寛のことと青山士のことが、とりわけ「大河津分水」にかかわった青山の遺していったことが思いを致すべき課題として念頭を去りません。
 飯田青涼のこともふくめ少しお時間をいただきたいと思っています。

http://www3.diary.ne.jp/user/325457/

 

大河津分水を行く飯田夫妻

 投稿者:2反田  投稿日:2008年 9月17日(水)03時15分23秒
  ところで単行本『女の夢』には「山の中の小學校へ」という短篇が収録されています。このなかの一節に、
《自然の恩恵の乏しい東京に生れ、埃と塵の中の學校にばかり通つた私》
《震災前東京で、日曜の午後、教曾からの歸途に電車を利用して、日比谷公園、戸山が原、植物園等に出懸け》
とあることから、飯田が東京の出身であること、また関東大震災を機に東京を離れたことが分かります。
そして現住居が田圃の一軒家であることを述べた個所では、
《彌彦、國上の双峯は、緑の森の裳裾を末廣に曳いて》
と家からの眺めを記しているおり、そこが新潟県寺泊の近郊であることも分かります。そこは妻・秀子の出身地でした。

「山の中の小學校へ」は、飯田政良・秀子夫妻が、春の日の桜の頃、信濃川から国上(くがみ)まで散策した際の感想文です。
この夫妻の行程が、巧まずして、開通直後の大河津分水の貴重なドキュメントとなっているのです。このような風景は、飯田の他には誰も記録していないのではないでしょうか。

《恰度、寺泊の海から、魚を仕入れて来た魚屋、襯衣(シャツ)一枚に股引腹掛で、威勢の好い若者五六人が、前後左右から一臺の荷車を、ヤアヤアと懸聲勇しく押して来て、私共を橋の上で追抜きました。
 「こんな所へ来ても魚屋は矢張り威勢が好イナ。」
 「地蔵堂へ行く魚屋ですネ。ホラ、右へ曲りましたよ。」
 橋を越して上流の方へ、河に沿ふて走去る彼等の姿が少時見えてゐました。橋の上の片側には軌道(レール)が在ります。一臺のトロが山程軌道を積んで過ぎた後へ、また軌道を積んだトロが来ましたが、後のトロは自分の通つて来た軌道を外して、トロの上へ積んではまた進みます。彼等の過ぎた後にはもう軌道は残つてゐません。河幅三百間、延長二里に余る運河開鑿の大工事が、五萬の男女工夫を勞役せしめて、二十年に近い星霜を経て、この頃漸く落成を告げ、残務工事も終ろうとしてゐるのです。軌道の取除された所で見ると、この橋の上にトロを押すのも、是れが最後の日かも知れませぬ。来る道の片側にも、春草青く茂る道の片蔭に、風雨幾年の錆赤き軌條は、山と積まれてありました。》

《山を後方に背負って、工夫達の為に店を開いた休憩茶屋が、軒並を揃へて一つの町を形造る程ザラに有ります。奥まつた農家造の薄暗い店に、ラムネ、サイダ、正宗、麺包菓子、煙草、[魚+易](スルメ)、缶詰、天、水菓子、草鞋、ゴム底足袋など並べられ、縁臺代りの粗末な踏臺も出てゐましたが、何の店も客が無くて、ひつそり閑としてゐます。「地蔵堂町、小川時計店、出張所」 恁う云つた風の、時計修繕の廣告を、八角時計の看板に付けた休憩茶屋をこの村の所々に見かけるのも、工事の盛であつた日の賑ひと混雑を語つてゐます。》

このような着眼点のよさと、丁寧な描写が飯田の本領なのでしょうか。写生文の素養があるように感じられます。
《「菫ほど小さき人に生れたし・・・・先生の句にあつたつけネ。」》
などと野の花を前に口ずさむのも、飯田の経歴を知る者にはうれしく思います。

この後、夫妻は国上村へ入り、山間の小学校を目指します。その動機は、自然の中に理想郷を見たいとの漠然とした願いからでした(これに対比して震災後のバラックの東京を想起します)。
古風な小学校を案内され、生徒たちの遠足に同行して国上山に登り、子供達に親しまれる夫妻の姿は平和です。

先に「自序」で悲痛な決意を見、その署名地が《紀尾井町の仮寓》であることを見ました。
はたして飯田は、田園の生活を捨てて、再び東京に舞い戻ったのでしょうか。それとも新潟にあって筆を握り続けたのでしょうか。
文壇にも属さず、”埋もれた名作”も残さず、ただ、おそらくは極めて篤実な人物であったろう、飯田政良の消息は、今のところ不明です。

―――――――――――――――

補遺
・漱石全集の註にもある飯田の短篇小説『町の湯』の掲載された『新小説』は明治42年10月号ですが、アンドレエエフ「深淵」(昇曙夢訳)の掲載を理由として発売禁止処分に遭っています(典拠:斎藤昌三『現代筆禍文献大年表』)。ここでも飯田の巡り合わせの悪さを感じさせられます。

・紅野謙介「漱石,代作を斡旋する――徳田秋声・飯田青涼合作『女の夢』とオリジナリティの神話――」『文学 1巻2号』(岩波書店 2000)という文章がある旨をネットで見つけました。当然目を通すべきでしたが、これも未読です。多分、似たような内容で書き込みをしてしまったのではないかと思いますが......。
 

飯田政良と徳田秋声

 投稿者:2反田  投稿日:2008年 9月16日(火)02時58分23秒
  さて徳田秋声の序文は以下のものです(一部省略)。

《 「女の夢」に序す
 飯田君が私のところへ来はじめたのは、もう大分古いことである。君はその頃坪内博士や夏目さんの門に出入して、何かと藝術上の指導を仰いでゐたのである。私のところへもづゐぶん原稿を持込んで来たが、みんな五六百枚から千枚ぐらゐ、力作雄篇で、作の質から言ふとドストイエフスキイに似たやうなものである。人の面貌や人となりも、ドストイエフスキーもこんな男ではなかつたかと思はれるくらゐ、正直で、敬虔で、偏屈で、世渡りが下手で、さうして貧乏で、努力家であつた。 …(略)… それに又、此の日本のドストイエフスキイが、精励刻苦して作つたところの長篇が、いづれも苦渋怪奇なもので、ちよつと賣れ口のつきにくいものであつたことも、本尊のドストイエフスキイも酷似してゐるやうで、とにかく一箇の文學者として、君のごとく讀んだり書いたりすることに熱心で、報はれるところの鮮いのは、近来の文壇には珍しいことである。
 「女の夢」は、夏目さんの好意深い計らひで、私と合作と云ふことにして、以前大阪朝日に連載したもので、或る人の説によると少しも面白くないとも言ひ、又或る特殊の人に聞くと、ひどく特異な點があつて、文壇かぶれのしてゐないところが好いと言ふのである。夏目さんが大阪朝日新聞社の提議で、私に署名してやつては何うかと言つたくらゐだから、作品と人とに相當の信用をおいてゐたことは疑ふの余地がない。
 飯田君は文壇人とは殆ど交渉がない。それくらゐ周囲の事情には迂闊である。それに夏目さんが亡くなられてからは、立寄る蔭もなくなつて、此の頃まで他の方面で生活してゐたが、偶々「女の夢」を是非出版しろといふ君の擁護者に出逢ふことができて、君の作品が茲にゆくりなくも世のなかへ出ることになつたのである。 私は夏目さんが私の署名の件について、長い手紙を私に書かれた當時の事情を懐かしく思ひ起すと共に、長く報はれなかった飯田君の勞作の一つが世に認められるに至つたことを心から悦ぶものである。
 大正十四年七月十三日 徳田秋聲 》

というように「女の夢」について全く褒めておらず、その品質保証についても漱石の責任に委ねています。しかし、遠慮のない人物評からは、飯田と秋声に、ある程度立ち入った交流があっただろうことがうかがわれます。
そして、飯田の不思議な多作ぶり――わずか2年間に長篇7、短篇40作を”発表”したと称しながら文芸誌に殆ど名前の見当らない――と、漱石書簡に見られるような飯田の立場を念頭に置くとき、秋声との関係には、”代作”に関るものも含まれていたのではなかったか、と思われるのです。

ここら辺はおそらく秋声研究においてもある程度の検討がされ、飯田の名も代作者の中にピックアップされているのではないかと思いますが、文章化されたものがあるかは不明です。

「女の夢」は明治文壇の”名義貸し”の中でも、当事者の証言の揃っている稀有な興味深い例ですので、先行研究も踏まえず、とりあえず資料紹介をしました。三島霜川の文学活動の周辺事例の一としてお読みいただければ幸いです。
 

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